動揺のあまり手にしていた箸を取り落とした。
まさかわざわざ別れ話に? 一分一秒でも恋人という関係でいたくないから?
悪い方へ悪い方へ考えが傾く。
どうしてよいかわからず固まったままでいると。
「おー、カカシならここにいるぞ。思いっきり邪魔だから、とっとと持ち帰ってくれ」
油断していたので抵抗する暇もなくアスマにぽいっと放り出される。閉ざされた玄関の扉の前で、心の準備もないままイルカ先生と対峙する羽目になった。
くそっ、あの髭熊め。本当にデリカシーのない奴だ。いつか絞めてやらねばならん。
と心の中で毒づいたが、どう考えても今はそれどころじゃない。
イルカ先生に謝って許してもらわなくては。
そうしなければ俺の未来はない。最終通告を下されてしまう。
「イルカ先生、ごめんなさい! 餅なんて四角のを煮たってかまわないからっ。醤油だって美味しかったです! もう白味噌のが食べたいなんてわがまま言いません。だから俺のこと捨てないで!」
一気に捲し立てたが、イルカ先生は目を見開いて驚いたままだ。
あれ? 怒ってるわけじゃなかったのかな。
戸惑っていると、イルカ先生は困ったように笑った。
「捨てるだなんて……迎えに来たんです。大人げなく追い出してしまったから」
迎えに。
イルカ先生はそう言った。
それじゃあ別れ話ではなかったんだと心底ホッとした。
「やっぱりアスマ先生とは仲が良いんですね。一番最初にここに来て正解でした」
仲が良いかどうかはともかく、イルカ先生が迎えに来るのに思い浮かんだのがアスマんちなら、あそこへ行ってよかった。すれ違うこともなく会えたのだから。
そう考えていると、帰りましょう、と促された。
寒空の下、一緒に並んで歩く。
正月だから人通りはほとんどなかった。
しゃべる度に口から出る息が白いもやとなって、どんよりと曇った空へと昇っていく。もうすぐ雪が降ってきそうだ。
「カカシ先生の家は白味噌だったんですねぇ」
イルカ先生がぽつりと呟く。
「すみません」
やっぱり怒ってるんだと思った。
「謝ることじゃないですよ。確認しなかった俺も悪かったんです。雑煮ってその家それぞれの味ですよね」
「俺こそイルカ先生の家に代々伝わる伝統の味なのに、ケチつけちゃって……本当にごめんなさい」
謝ると、イルカ先生は黙り込んだ。
「本当はね。あれ、代々伝わってなんかないんです」
「え?」
「ほら、子供の頃に両親が亡くなったでしょう? 作り方なんて教えてもらってないし。見よう見まねです。こんなんだったかなって試行錯誤して毎年作ってきたけど、結局再現できてない気がする……」
イルカ先生の表情は、俯いていてよく見えない。
「だから、カカシ先生に『偽物だ』って言われた気がして、ついムキになったんです。ほとんど八つ当たりだ……」
ごめんなさい、といった言葉は涙で湿っていた。
俺はなんて酷いことを。
一生懸命昔の味に近づけようとしてきたイルカ先生の努力を否定したんだ。
「お、俺……ごめんな…さい。そんなつもりじゃ……」
あんなこと言うんじゃなかった。
酷いことを言って傷つけた。イルカ先生が怒ったのも無理はない。
後悔してもしきれない。
そう思った時にはもう目の奥が痛くなって、じわりと涙が滲んできた。
「なに泣いてるんですか!」
「イ、イルカ先生だって泣いてたじゃないですか」
鼻をグズグズいわせて抗議すると、
「泣いてません!」
とイルカ先生は顔を赤くして否定した。
「とにかく。カカシ先生が謝る必要はないんです。悪気がないのはわかってたし、雑煮の味で揉めるのはどこの家庭でもあることだから」
なかなか泣きやまない俺を慰めようと思ってか、イルカ先生は優しく話しかけてくる。
けれど、一度涙が出始めると、そう簡単には止まらなくなってしまった。
ぼろぼろと落ちていく雫。
「あっ、そうだ。カカシ先生の好きな雑煮を作りましょうか、醤油じゃなくて白味噌の」
子供の機嫌を取るように扱われ、なぜかますます涙が溢れる。
「白味噌は普段使わないから家にはないんです。スーパーも元旦だから開いてないし。明日から初売りだから買ってきましょうね」
「えぐっえぐっ、イルカぜんぜぇ〜」
「丸餅は鏡餅のちっさいのがあるからそれを使ってー」
イルカ先生の慰めに、本格的に止まらなくなった。
「もういいかげん泣きやんでくださいよ。いい歳した大人が」
「だっで〜」
イルカ先生は苦笑して、とりあえず諦めたようだった。俺ももう止める努力はやめていた。
しゃくり続ける俺の手を取ってイルカ先生は歩き始めた。
俺は大人しく連れられていく。
「来年の元旦は、雑煮は2椀作りましょう。1つは醤油、もう1つは白味噌。二種類あったら楽しいですよ」
こくこくと頷き、そして閃いた。
あれを言っておかねばならない。
「おっ、俺、今年の年末には、ちゃ、ちゃんと手伝いますからねっ」
ひいっくひっくとしゃっくりを繰り返しながら、なんとか言い切った。
部屋を片付けて大掃除もして、おせちを作るのを手伝うのだ。
「楽しみですね」
そう言って振り返って笑ったイルカ先生はすごく嬉しそうで。俺の涙もようやく引っ込み、幸せな気分になったのだった。
END
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2009.01.24 |