不機嫌そうな俺をどう勘違いしたのか、イルカのおしゃべりは続く。
「お腹空いてるの、カカシ?」
腹は空いてない。
しかし、この場合この状況で聞く質問にしては適切ではない気がする。
「ちょっと待ってね。食べかけだけどここにサンドイッチが……」
ポケットを探っている。
「いや、いい」
何が悲しくて魔物の俺が人間の食べかけのサンドイッチを食わねばならんのだ。
「じゃあ、洞窟の入口に美味しそうな『ちしゃの実』が」
イルカは動いて髪の毛を振りほどこうとしたが、そんなことで捕まえた獲物を逃がすわけがない。
「それよりも欲しいものがある」
「何?」
何も知らないこの黒い瞳が恐怖で彩られたら、きっと一番純粋な涙が零れるに違いない。
期待に胸が高鳴る。長い間待っていた甲斐があるというものだ。
それにイルカは美味しそうだ。
顔を動かす度にぴょこりと動く黒い髪の束。温かい指。若くて柔らかそうな肉。意外と意志の強そうな黒い瞳は一番最後に取っておこう。
「涙の宝石だ」
「涙の? なに、それ」
「願いの叶う宝石だ。この世で一番純粋な涙の雫は、たった一つだけ願いを叶えてくれる宝石になるんだ」
「へぇー、すごいね!」
この状況で素直に感嘆しているのもある意味すごい気がするが。
「で、それってどうやったら手に入るの」
「この世で一番純粋な涙とは、人間が死ぬときに絶望の淵で流す涙のことだろう? だから俺は人間を喰うんだ」
死への恐怖。それが一番純粋で強いはず。
「そっか……じゃあ俺は役に立たないね」
イルカはしょんぼりと俯く。
「なぜだ」
「だって俺、死ぬのは怖くないんだ。だから涙の宝石も流せないよ」
そんな馬鹿なことがあるだろうか。死を怖がらない人間なんていない。
でも。
「ごめんね」
申し訳なさそうに謝るイルカは嘘をついているようには見えなかった。怖がるどころか役に立たないと落ち込む人間が果たして涙を流すだろうか。
だいたいなんで謝るのか理解不能だ。
腹立ち紛れに喰ってやろうかという考えが頭を掠めた。けれど、しばらく考えた。
やめた。イルカは喰わないでおこう。
どうせ涙を流さないなら意味はない。
こんな退屈な洞窟に一人でいることを考えれば、暇つぶしにちょうどいいかもしれない。そう思ったからだ。
よく笑うからきっと面白いだろう。魔物を前にして笑う人間は珍しい。もしも飽きれば喰ってしまえばいいのだし。
そうだ、そうしよう。
自分の結論に満足しているときにイルカが話しかけてくる。
「ねぇねぇ、カカシ。三つ編みしてもいい?」
「はあ?」
「三つ編み! 髪の毛、こんなに長いから邪魔でしょ?」
イルカは期待に瞳を輝かせながら言う。
「……別に動き回らないから邪魔じゃない」
「えー、そんなこと言わないでさ。三つ編みにしようよ!」
俺の髪を自由に動かさせない作戦かと思ったが、髪を手に嬉しそうな姿はどう考えてもそうは見えない。
「いや、いい」
「そう?」
イルカは残念そうに肩を落とした。
そんな風に気落ちされると、なんだかこっちが酷いことをした気分だ。
「さらさらで綺麗なのにね」
そう呟きながらすりすりと髪を撫で、しばらく弄んだ。
何か声をかけた方がいいものかと悩んでいると、イルカは顔を上げてぽやんと笑う。
「じゃあ、したくなったらいつでも言ってね! 俺、けっこう三つ編み得意だからさ」
「あ、ああ」
そんな日が来るかどうかわからないけれど、あんまりにもイルカが嬉しそうに笑うから。いつか編ませてやってもよいような気になってしまった。
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