ふらふらとおぼつかない足取りのイルカさんの後を、慌てて追う。
顔は見えないが腕が白い。血の気が引いている白さ。
腕を伸ばしてイルカさんの足を止めようとした瞬間、左腕に痛みが走った。
「いてぇ」
そういえば、しばらく押さえておいてくださいとか言われたのだったっけ。
いや、こんな忌々しい痛みよりもイルカさんの具合の方が心配だ。倒れないように祈りながら後を追う。
まだ検査を待っている列の横を通り抜けようとした時に、低い濁声が耳に届く。
「兄ちゃん、わざわざ若い方選ぶから痛い目にあうんだよ」
なにぃ、このクソ親父！
思わず立ち止まって振り返る。
にやにやと笑う下品なおっさんにカチンときた。
相手は、色男はつらいねぇ、などと心にもないことを言う。
怒りで眩暈がしそうだ。
つまり俺は、若いお姉ちゃんに近づきたいが為に順番を無視して割り込んだ男だと思われてるのか！
そしてその報いとして針が通らなかったと言いたいわけか！
あまりな解釈に座り込みそうになった。
勘弁してくれ。
別に見も知らぬおっさんが俺のことをどう思おうと勝手だが、わざわざ周りに聞こえるように言うのが良くない。
だってイルカさんに誤解されるじゃないか。
さんざん腕に穴を開けられ、その上嫌われでもしたらもう泣きっ面に蜂どころじゃない。涙も滲もうってもんだ。
ああ、もう！
とにかくその件は保留。
今はイルカさんの体調が問題なのだから。
早足で追いついて、前を歩く人に回り込んで足を止めさせる。
「イルカさん、顔色良くないですよ。どこかで少し休みましょう」
「大丈夫です、休まなくても。早く次に行きましょう」
「でも！」
どう見たって顔色が良くない。青白い顔で笑うから余計痛々しい。
「ホントはね、次も混むんです。検査受付してから椅子に座ってずーっと待たなきゃいけないから。ここで休むより、どうせなら受付してから休んでた方が効率いいですよ？」
そう言って笑う。
毎年のことだから慣れていると言うのだ。
そう言われてしまうと反論しにくい。
「じゃあせめて歩くときは俺に掴まって」
腕を差し出すと、ありがとうございますと遠慮がちながら掴まってくれたので、そのまま移動した。
胸部レントゲンの受付を済ませ、また長椅子に腰掛けさせられる。
心電図の混雑よりもマシだが、さっきから座っている人が動く気配はなく、なかなか順番は回ってきそうにない。とりあえずはゆっくり休めそうだ。
ホッと一息つきそうになったところへ声をかけられて、内心かなり慌てた。
「あの……カカシさん、ありがとうございました」
「え」
「俺の採血が上手くいくように代わってくれたんでしょう？」
ああ、そういえば誤解されたんじゃないかという問題があったのだった。
そうなんです！とここぞとばかり主張したかったが、みっともないのでグッと我慢する。
でもちゃんとわかっていただなんて感激だ。誤解されていなくてよかった。
「おかげであんまり痛くなかったです」
少しずつ顔色が元に戻ってきて、はにかむように笑うイルカさん。
ああ、よかった。
もうその笑顔を見られただけでも、痛い思いをした甲斐があったというものだ。
「俺はめいっぱい痛かったですけどね」
気が緩んで軽口を叩く。
いくら新人とはいえ、看護師があんなに下手でいいのか。いくら何でもあれは酷い。病院側に抗議してもいいんじゃないかと思う。
すると、イルカさんが困ったように笑う。
子供っぽいヤツと思われたかな。
「彼女、見蕩れてたんですよ」
「は？」
「カカシさんは見惚れるくらい男前だから。緊張してたのもあるだろうし」
だから許してあげてくださいね。
イルカさんはそう言って、また困ったように笑った。
えっ、本当に？
いや、看護師が見蕩れたとか緊張してたとかその部分はどうでもいい。
それよりも『見惚れるくらい男前』って、俺がってことだよね。
イルカさんにそう思ってもらえるなら万々歳だ。
お世辞半分にしたって少しはいいと思ってもらえているということ。
今まで自分の顔など好きではなかったけど。父親に瓜二つと言われるこの顔も、そう悪くない気がしてきた。
最悪だと感じていた採血検査も、やってよかったのかもしれないと思う現金な俺だった。