雨が上がればイルカに会えると、ナルトは楽しみにしていた。
しかし、ちょうど梅雨に入ったこの時期、なかなか晴れ間は訪れず、じめじめと鬱陶しい天気が続く。ナルトも何度かこっそりと妓楼を訪ねてみたが、やはりカカシはずっと滞在中らしい。
けれど、その日はちょうど昨日の夕方から雨が上がり、久々のお天道様が顔を出していた。
ナルトは昨日の夜からわくわくと期待に胸を膨らませ、いつもはしがみついている布団から跳ね起きた。
今日こそイルカに会えるという嬉しさから、待ち合わせ場所の神社まで全速力で走って、今か今かとイルカを待つ。
待つこと半刻あまり。ようやくやってきた人物は綱手だった。
困ったような表情を浮かべていて、それを見ただけで今日も駄目なんだと悟り、ナルトはガックリと肩を落とした。
がしかし。事態は更に悪かった。
「はたけの若旦那が急に身請けしちゃってね」
「えっ」
身請けというと、大金を積んで年季奉公を終わらせるというあれだろうか。
ナルトは一生懸命に自分の知っている知識を総動員する。
つまりイルカはもうこの遊里に戻ってこないということだ。会いに行くことすらできなくなってしまった。
呆然とするナルトの姿を見て、綱手は溜息をついた。
いくら上客のカカシといえど、雨が上がれば居座る理由もなくなって帰るだろうと思っていたのだ。
事実はたけ屋から帰ってくるようにと何度も催促が来ていた。使いの者などカカシにとってはどこ吹く風だが、仕事を放りっぱなしとなれば真面目なイルカが良い顔をするわけがない。
肝心のイルカのご機嫌を損ねるわけにもいかず、かといってナルトに会いに行くのを見送るわけにもいかず。進退窮まったカカシは身請けすると言い出した。
太夫の身請け料ともなれば最低300両は必要となる。突然言い出して今日明日に準備が出来るはずがないと綱手も苦笑したのだが、実は遠方に買い付けに行く前から準備だけはしていたのだと言う。
カカシはあっさり1000両出すと言い、店から持ってくるよう使いを出した。あれよあれよという間に小判の詰まった桐箱が運び込まれ、イルカは落籍(ひか)されることとなった。
せめてナルトに会って別れを告げたいというイルカの願いは、どういう手を使ったのかはわからないが却下され、今に至る。
綱手もまさかここまでするとは思ってなかっただけに、まったく大人げないにも程があると溜息しか出ない。
「あいさつする暇もなかったねぇ。……これは預かったお前宛の文だよ」
慌てて書いたのがよくわかる、質素な一枚の紙だった。
《なるとへ
やくそくをやぶってごめんな。もうあえないかもしれないけど、なるとのしあわせをずっといのってるから。よみかきのれんしゅうがんばれよ。
いるか》
字を習い始めたばかりのナルトにも読めるようにと、ひらがなだけで書かれた手紙。
「イルカ先生……」
しゃがみこんでじっと紙を見つめていたナルトは、しばらくしてから綱手を振り返って見上げた。
「イルカ先生、幸せ?」
「ふん、誰もが幸せだと言うだろうね。金持ちの旦那に身請けしてもらうだけでも充分な幸運なのに、好いた男と一緒になれたんだからね」
ナルトはまたしばらく黙り込み、ぽつりと呟いた。
「……それならいいんだ」
「いいのかい?」
綱手が尋ねると勢いよく立ち上がり、裾の汚れを自分で払った。
「うん。俺、イルカ先生が幸せならそれでいいんだってばよ」
自分が幸せにしてあげたかったけれど。
自分の前で特別に笑ってくれるなら、それが最高だったろうけれど。
それでもあの人が幸せに笑っているというのなら、譲ってやってもいい。
「餓鬼だ餓鬼だと思ってたけど、男だね。人を思いやれるようなら一人前だ。お前さん、いい男になるよ。汁粉でも食ってくかい? 私の奢りだよ」
「へへ、ありがと」
ナルトは顔を擦った後、ニカッと笑った。
「あっちの餓鬼はどうしようもないけどね。まあ、幸せならいいだろ」
綱手はそう独りごちると、ナルトと共に歩き出した。
その頃二人は。
のんびりとはたけ屋に向かって歩いていた。
「ぶしゅん」
「カカシさん、風邪ですか?」
「ん〜、誰か噂してるのかもしれない」
心配そうにちり紙を取り出すイルカに、カカシは鼻を啜りながら答えたのだった。
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2005.12.17 |