【恋はあせらず9】


早く就業時間が終わってしまわないかとそわそわしていたら、とんでもないことが起きた。
「アオバ、このバッカ野郎! 搬入数を間違えたって!?」
「す、すみません! 新店舗のオープニングが重なっていつもの10倍注文だなんて知らなかったもので……」
発注を受けた時に普段より多すぎたため、記入ミスと判断して勝手に10分の1に書き換えてしまったらしい。
「確認するのは基本だろうが!」
「ひぃ、すみません〜」
アスマの怒鳴り声にアオバは身体を縮こまらせた。
運の悪いことに倉庫にはほとんど在庫がない。どこも品薄だから特別発注しないと数が確保できない貴重品なのだ。
「明日10時開店だとよ。どーする、カカシ」
どーするもこーするも、俺はイルカさんと映画を観に行くんだってば!
向こうだって10分の1だろうと現物はあるんだからいいじゃないか、もう。と投げやりに答えて逃げ出したかったが、そうもいかないのが悲しきサラリーマン。仲間のフォローも仕事の内だ。
「全国に散らばってる倉庫や取り扱い先に在庫がないか確認して、あるだけ掻き集めるしかないだろ。幸い今すぐ言って送ってもらえばギリギリ間に合う」
「だな。とにかく電話だ」
「はい、倉庫と取り扱い先の電話リスト」
気の利く紅が差し出したリストはかなりの量があった。
うぇぇ、手分けしてもまだまだ時間が掛かる。定時で帰るのはどう考えても無理っぽい。どころか、上映時間にも間に合うかどうかという微妙な時間。
俺の映画デート計画をぶち壊す気か! アオバめ、覚えてろ!
イラッと受話器を取りかけた時、
「はたけさん、これ波風部長から預かった書類です」
と事務職の女の子が声をかけてきた。
「ありがとう」
さっき会った時に、後でまとめた資料を届けるからとか言ってたやつだ。あいかわらず仕事が速い人だ。いつのまにあれだけの仕事をこなしてるんだろう。
書類を受け取っても事務の子は立ち去る気配がない。まだ話したそうにしている。
暇なのかな。俺は忙しいってのに。
そこまで考えてはっと閃いた。
「あ!……あのさ、今手が空いてる子だけでいいんだけど、ちょっと手伝ってもらえないかな」
「わかりました。はたけさんのお手伝いしたいって子、たくさんいますから。ちょっと声かけてみます」
「お願いね」
終業時間まぎわだから、面倒な仕事は持たずにカウントダウンで終わるのを待ってる子もいるはず。そういうのが数人いるだけで助かる。
その子は他の部署にまで声をかけてくれたらしく、想像していたよりも多い人数が集まった。これなら映画に間に合うかもしれない。
リストを分けて配っている最中に、遠くから駆け寄ってくる人間がいた。
「カカシ先輩! 困ってるなら一言そう言ってくれれば俺がお手伝いするのに、水くさいじゃないですか」
「テンゾウ。水くさいって……お前、自分の仕事はいいのか」
なんでこいつにまで話が広がってるんだろう。
「大丈夫です。ぜひお手伝いさせてください!」
「あ〜。じゃあ頼むよ」
一人でも多い方が早く終わる。そう考えて言ったのだが、言われた本人は『頼まれた!』みたいな意欲満々でリストを持っていく。まあ、張り切ってくれるのなら細かいことは言わないが。
その後人海戦術で電話をかけまくり、規定の数を集めた頃にはすでに19時を過ぎていた。
なんてことだ!
イルカさんにはすでに『仕事で遅れます』と連絡してあったが、待つのがつまらなくなって帰っていたらどうしよう。
「みなさん、すみませんでしたー!」
アオバが泣きそうな声で謝っている。
この後、みんなで飲みに行こうだの何だのと周りは盛り上がっているが、俺は行くわけがない。上着をひっつかんで立ち上がった。
「みんな、お疲れ!」
「あ、カカシ先輩!」
呼び止められたが、後ろを振り返るのも惜しんで秘書課まで走った。
目当ての机に人影が見えて、少しホッとした。よかった、まだ居た。
「遅くなってすみません!」
「いえ、ぜんぜん」
普段できないまとめなんかをしてたからすぐ時間が経っちゃいました、とイルカさんは笑って答える。
気を遣ってそんな風に。思いやりのある優しい人だ。
じんと感動しながらも、さてどうしたものかと悩んだ。
今から夕飯をのんびり食べていたのでは映画の時間に間に合わない。かといって空腹で観るなんてもっといただけない。
ランチの時といい、食事は鬼門なのか!?
「これじゃあ、何か買って映画館で食べないといけないですね。本当にすみません」
「謝る必要はないですよ、まだ間に合いますって。……あの、よかったら、今日はラーメン食べませんか」
「ラーメン?」
「これから行く映画館の近くに、美味しいお店があるんですよ。小さくて目立たないところだから行列とか並んでないし」
知る人ぞ知るという感じの店らしい。
「へぇ。もしかしてイルカさん、ラーメンがお好きですか」
「大好物で。目がないんです」
恥ずかしそうに頬を掻く仕草が可愛らしかった。
そうか、ラーメンが好きだったんだ。
よかった。ゆっくり食事できないのは残念だが、好きなものを食べるなら今日の印象はいいかもしれないと期待を持った。


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2008.07.26


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