「あのね、イルカ先生。傷つかないかなんてことを気にしてたら生きていけませんよ」
「え。そうですか?」
きょとんとした表情も可愛い。
そんな場違いな感想が、カカシの中には常にあるようだ。
しかし、それを頭の隅に追いやって話し始めた。
「そうです。大体生きていくのに傷ついたりするのは当たり前です。
ほら。例えば新しいご飯茶碗があるとします。どんなに大事にしていても、毎日使っていれば細かい傷や汚れが付きますよね。
それでいいんです。それが普通でしょ?
大事に使わないでしまっておけば、そりゃあ傷も付かないでしょうけど、それじゃあ意味がないでしょう?茶碗である意味を無視してしまうなんて、本末転倒もいいとこだと思いますけど」
傷がない人間なんていない。
もちろん人によって大きいや小さいの違いはあるけれど。
けれど、綿にくるまれて大事に育てられて何もなければそれで幸せかといえば、そうじゃない。
自分の足で立って、泣いて笑っていくのが生きている意味ではないのだろうか。
「大きな傷が付かないように気をつけてやるのが大人の仕事ですけど、細かい傷は生きてる証みたいなモンです」
イルカが静かに自分の言葉を聞いていて、その上さきほどのような不安げな表情がないことに、カカシは安堵していた。
まるで、子供に教えているときのようだと心の中で笑う。
けれど、なんとかしてあげたいと思う気持ちは、子供に対する想いとは全然違っているのだ。
「子供にはやりたいようにやらせてやるのが一番ですよ。俺達の仕事は、それをじっと見守ってやればいいんです」
すると、イルカはまた少し眉を顰めた。
カカシがどうしたのだろうと不安に思っていると
「……でも、見てるだけってすごくもどかしくありませんか?代わってやりたくなります」
と不満そうに口を尖らせる。
「ははっ。確かに代わった方が簡単ですぐ済むんですけど、それは我慢しないとね」
「子供たちのために?」
本当はイルカだとてわかっている。
自分で実践して得たものだけが本当に身に付くのだと。
わかっていても、もどかしい気持ちはどうしようもなかったのだろう。
「そうです。じっと我慢です」
カカシが子供に教え諭すように言うと、イルカは愁眉を開き、穏やかに微笑んだ。
満足そうに頷き、静かに「はい」と答えた。
しばらく二人で歩き、もうすぐカカシの家というところで、イルカが思いついたように口を開いた。
「あ。カカシ先生ってたしかスリーマンセルの担当教官が四代目でしたね」
「はは、そうなんです。不肖の弟子です。お恥ずかしい」
カカシはガリガリと頭を掻く。
よく言われることだ。
四代目の指導があったのにまだ中忍をやっているのか、と。
イルカの言葉にもそういう意味が含まれているのだろうかとカカシは思った。
が、そうではなかった。
「そんなことありません。……俺はまだあの頃は小さかったし、お会いする機会も少なかったのであまり四代目のことを知らないんですが、でもとても強い人だという印象があって」
「ああ。確かに強かったですね、あの人は」
カカシはその顔を思い浮かべながら頷いた。
「いえ。なんていうか、表面的なことじゃなくて精神的に、という意味で」
精神的に強い。たしかにそうだったろう。火影になるくらいだから、そうでなくては困る。
でもそれが?とカカシは首を傾げた。
「きっと四代目ってカカシ先生に似てたんですね」
「え?全然似てませんよ」
「外見とかじゃなくて。中身が」
「中身だって全然似てないですよ」
「きっと似てたんだと思います。子供のことを真剣に見ているところとか、考え方とかがきっと…」
つまり誉められたのだ、と自覚するのにかなりの時間がかかる。
カカシはこれでもかというくらい頬が熱くなった。
どうしよう、どうしようと思っていると、家の前に着いてしまった。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「あっ、お、おやすみなさいっ」
カカシがわけのわからないうちに、イルカは優しく微笑んだ後、疾風のように去って行ってしまった。
かろうじて挨拶を返したものの、後は呆然と夜の闇に立ち尽くすのみだった。
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2003.05.31 |