みっともないくらい息を切らせて走っていた。任務中の忍びならば決してやらないこと。
急いでいたからだ。
若いイルカさんと別れて元の時間へと戻ってきた幸運な俺は、ともかく急いでいた。
あの術を使ったのは、どうにも手の打ちようがないなら試しに一回使ってみようか、ぐらいの気持ちだった。
イルカ先生が死んだら俺も一緒に死ぬ気だった。イルカ先生がいないなら、もう生きている意味もなかったから。
たとえあの男を抹殺するのに成功しなかったにしても、運が良ければイルカ先生に会えるかもしれない。若い頃でも子供の頃でも何でもいい。
その程度しかこの術のことを信用してなかった。
今思い出しても後悔で喉が詰まる。どうして俺はあのとき任務なんか受けて里の外へ出たりしたんだ。
ナルトが自分の上司になったのが許せないとか。その九尾をアカデミーから卒業させた教師が一番の原因だとか。俺の苦しみを思い知れとか。アホなことをぬかす男は死んでしまえばいいと思った。
お前の苦しみなど知ったことか。俺の大切なものを踏みにじりやがって。俺の苦しみこそ思い知れ。
そう思って扉を開いたのだった。
到達した時間を調べて十年前だとわかった時、自分の運の良さに感謝したくらいだ。しかも七班の最初の中忍試験の前だという。
まだ俺が告白もできないでいた頃。懐かしくも苦い思い出だ。
ともかくイルカ先生に会いに行くと決めた。
十歳も若いイルカさんは可愛くて一生懸命で、ああなんであの時こんなことも気づかなかったんだと思うことばかりだ。強い人だれど本当は寂しがり屋で、意外と思ったことを口に出せないでいる。
見ていて楽しい反面、今死の淵に立っているイルカ先生を思い出して苦しかった。
だから昔の俺を見て、腹が立った。
どうしてお前は手をこまねいているんだ。目の前にあの人がいるのに! 生きているという幸運を、どうしてあたりまえのように見逃すんだ。
お前がくだらない矜持や自分の意気地のなさのために想いを伝えないというなら、イルカさんを攫ってやろうか。本気でそう思った。
本当はそんなことができないことくらいわかっていたけれど。
つい意地の悪いことを言って苛めてしまうぐらいは仕方がないじゃないか。自分の馬鹿さ加減にイライラするんだ。
それでも、昔の俺の恋がうまくいくよう願うのも本気だった。
少しずつ努力している姿はのろのろとした亀のようで、目を覆いたくなるような不器用さだったけれど。
そんな毎日で気が紛れていたのに、第二試験が始まってイルカさんが家へ戻らなくなった。誰もいない部屋に一人でいると、余計なことまで考える。
今こうしている間にもイルカ先生は……。
居ても立ってもいられなくて、蹲って自分の膝をぎゅっと抱える。
不安でたまらなかった。
そんな不安な時は、いつだってイルカ先生が側にいて『大丈夫ですよ』と言ってくれるはずなのに。
でもだって、あなたは今ここにいないじゃないですか。
思い出すと泣きそうだ。
だから言ってるのに。あなたがいないと俺は生きていけないって、いつも言ってるのに。イルカ先生はたまに俺の言うことを真剣に聞いてくれない。
弱気でどうしようもない俺は、帰ってきたイルカさんに思わず縋りついてしまった。
あーあ、せめてイルカさんの目には格好良く映っていたかったのに。
扉が開いて、これを逃すともう戻れないのがわかっていた時。本当はイルカ先生が死んでしまう現実が怖くて逃げ出してしまいたかった。でも、イルカさんが言った言葉が胸に突き刺さった。
「きっと俺は寂しがってます。だから!」
もしこのままここに残ってあいつを殺したとして、そうしたらイルカ先生は俺の居ない未来に一人きりで生きていくのだろうか。
そんな寂しい思いをあの人に?
そして、そんな想像するだけでも耐えられないくらいの苦痛を、この先ずっと俺が?
十年前のここに来られたことが幸運なら、イルカ先生が死なないまま一緒に生きられるという未来の幸運も引きずり下ろしてやると決意した。
そうして結局昔の俺に託して帰ってきたのだった。
戻ってからはただひたすら家へと走った。
大丈夫。大丈夫だ、きっと。
もしもあいつが約束を破って殺すのをしくじっていたら、絶対殺してやるから。絶対に。
どうやって? もちろん俺の舌を噛み切って死んでやるんだからな。心の中でそう誓った。
ぜんぜんたいした距離じゃないはずの道のりはもどかしい程遠かった。
そして、家には灯りが点っていた。
「イルカ先生!」
玄関を開けるのももどかしかった。
「遅かったですね、カカシ先生」
一瞬俺の剣幕に驚いた後、それでもいつものように柔らかい笑顔で名前を呼んでくれた。
それを聞いた瞬間にはもう強く抱きしめていた。今離したら消えてしまうんじゃないかと真剣に思った。
痛いですよ、と言われても、離せるわけがなかった。
「カカシ先生、泣いてるんですか?」
優しく降ってくるその声だけが俺を満たした。
体が微かに震えてしまうのは、きっと嗚咽のせいだ。
でもよかった。本当によかった。
もう怖いものなんて何もない。そう思った。
俺が落ち着いた後、イルカ先生は言った。
「おかえりなさい。長い任務でしたね」
「……ただいま、イルカ先生」
「無事に帰ってきてくれて嬉しいです。あなたがここにいてくれるのが嬉しい」
「俺もです」
本当に心からそう思う。
「寂しかったんですからね」
イルカ先生は恥ずかしそうにほんのりと頬を染めた。
「お、俺も……」
俺は、泣いた名残の鼻水をずずっと啜った。
イルカさん、あなたの言うとおりだったね。帰ってこなければ、きっと泣かせているところだった。
そう思いながらぎゅっと抱きしめた。 懐かしむのは昨日の夢。けれど一番大切なのはいつだってあなただけ。
END
2005.10.30初出
2011.01.15再掲 |