よく来ていると言っていたが、いつ頃がいいのだろう。
まさか朝からいるわけでもないだろう。昼から待ってみるか。
とりあえず暇を潰せるよう、愛読書を持って家を出る。
ウキウキしながら歩き始める。
なんだろう、これは。
春だから?
それだけではないだろう。
昨日の桜の木に近づくにつれ、なぜか自分の心が浮き立つのを感じる。
つらつらと考えていると、あの木が見えた。
木の下には人影が見え、なんだか嬉しくなった。
「あ!」
顔の表情が分かるくらい近づくと、気がついて立ち上がった。
「昨日はすみませんでした。慌てていたからすごく失礼なことを…」
「いえいえ。いいんですよ。寝過ごしちゃいましたか?起こしてあげたらよかったな」
そう言うと顔をぶんぶん横に振って否定した。
「そんな!自分が悪いんですから。あの…お昼ご飯は食べられましたか?」
「いえ、まだですけど」
「よかった!これ、よかったらどうぞ。昨日のお詫びです」
差し出されたのは、おにぎりや卵焼きや鳥の唐揚げなんかがいっぱい詰まったお重だった。
「これ、もしかして手作り?」
なんていったらいいのか。
小さい頃に憧れた、お母さんの手作り弁当そのものという感じ。
「俺が作ったから、味の保証はないんですけど」
「いや。すっごく美味しそうです。一緒に食べましょうよ」
「はい」
その人の名前は『うみのイルカ』。アカデミーの教師をしているのだという。
なるほど、それは確かに似合っている気がした。
俺が上忍だと聞いて最初は緊張していたが、次第に打ち解けて喋ってくるようになった。
二人で食べた昼飯は、すごく美味しかった。
味付けが美味しいのはもちろんだったが、一緒に食べながら喋ることが楽しかったから。
花だったら何が好きとか。
雨の匂いは嫌いじゃないとか。
虹の中で好きな色は何色かとか。
そんな他愛もない話ばかりだったけれど。
時間は瞬く間に過ぎて、
「もうアカデミーに戻らないと」
と言われて心から残念に思った。
「明日もまたここに来ますか?」
「ええ、ぜひ。明日もお弁当作ってきますね」
かわされる約束。
それから毎日その木の下で昼飯を食べるのが俺の日課となった。
今日も桜の木に着くと、イルカ先生はいなかった。
そのかわり木の根元に置かれたお重と手紙。
『今日は忙しくて一緒にお昼を食べられません。ごめんなさい。 イルカ』
いつも楽しい時間は今日はない。
いつもと同じ味付けで美味しいはずの昼飯も、砂を噛んでいるように感じる。
綺麗に咲き始めた桜の花を眺めても、全然心を慰められない。
弁当の量もいつもより少ない一人分。
一人で食べたってつまらないよ、イルカ先生。 あなたがいないと。
ぼんやりとそこで一日を過ごしていると、こちらに走ってくる気配がする。
イルカ先生じゃなければ、もう誰でも同じだ。関係ない。
そんなことを考えていると、それは驚いたことにイルカ先生だった。
「急いで仕事を終わらせてきたんです」
息が切れるくらい一生懸命走ってきた姿に胸が高鳴る。
「もうすぐおやつの時間でしょう?一緒に食べようと思って」
照れたように笑って差し出されたのは肉まんだった。
それはとっくに冷めていたけど、すごくすごく美味しくて、不覚にも涙が出そうになった。
俺は気づいてしまった。
名前はうみのイルカ。
アカデミーの教師で。
好きな色は少し紫がかった青色。
花は道ばたで咲いているような小さな可憐な方が好き。
そんなことしか知らない。
でもとても大切なことを知っている気がする。
空気のようにそこに存在して、水のように染みこんでくる人。
俺はこの人が好きなんだ。
きっと初めて会ったときから好きになっていたんだ。
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2002.03.23 |