【いつかの約束2】


夜の間ずっと考え続けて、はっと閃いた。
もしかしたら記憶が戻ったら、記憶喪失の時の記憶がすっぽり消えてなくなるということはないだろうか。前にそんな話を聞いたことがある。あの病院の医師に確かめてみよう。
そう考えると少しは気が楽になって、昼間の授業は何とかこなせた。
しかし、その希望はうち砕かれてしまった。
「まあ、その可能性はないとは言えませんが……」
俺にとってはあまり芳しくない答えだ。
「脳みそというのは、歯を磨いたり食事したりといった日常的一般的行動を覚えておく領域と、他人の情報や昔会った出来事を覚えておく領域とがあります。これは別物です。
はたけさんの場合、食事するのも特に問題はなく、忍術体術などの身体に染みついたものは忘れていません。目の前にいる人間が誰であるかといったことを覚える領域に繋がる回線が少し鈍くなっているに過ぎません。
たまにうっすらと思い出すこともあるようですから、そのうち回線がきちんと繋がって元のように戻るでしょう。きっとあなたのことも思い出しますよ」
と医師は自信満々に請け負った。
説明を聞いてガッカリしたが、そんなことを考えている暇はなかった。医師が意味不明なことを言ったからだ。
「え?俺のことって……」
「はたけさんから聞いてます。恋人なんでしょう?大丈夫。ほんの少しの辛抱ですよ」
恋人ー!
なんでこの先生が俺の嘘を知ってるんだ!
つまり俺は、恋人を心配するあまり医師に説明を求めにきた男だと認識されているのだ。
道理で突然押し掛けた割には、親切に応対してくれるなぁと思った。
たぶん俺の顔は赤くなったり青くなったりまだら色した変な顔になっていることだろう。
そんな俺を見て、医師はどう思ったのか、
「幸い頭の怪我も数日すれば治る程度なので、今日退院してもかまいませんよ。お大事に」
と爽やかな笑顔を振りまいたのだった。


個室の扉を開けると、カカシ先生がにこにこと話しかけてきた。
「イルカ先生、聞きましたか?今日退院してもいいって」
「はい、聞きました」
そう答えて、俺は眉を顰めた。
「あれ、嬉しくないんですか?」
急に不安げな表情に変わり、少し胸が痛んだが、聞いておかなければと思い直す。
「……カカシ先生。主治医の方に何か言いました?」
「何かって?」
「お、俺と付き合ってる、とか……」
「ああ!言いました言いました。『何か思いだしたことがあるか』って聞かれたんで、『恋人のことをイルカ先生って呼んでいたのはうっすらと』って答えたんです。診療の一環だと思ったので正直に答えたんですけど、ダメでした?」
診療の一環。確かにそうだ。
医師は思い出せたことがあるかどうか聞いた。
カカシ先生は思いだしたことを報告した。
ただそれだけだ。何も問題はない。
俺が恋人だなんて嘘をついていなければ。
もしもあの医師から誰かに伝わったらどうしよう。内密にとは頼んできたけれど自信がない。
いや、それ以前に。
「ま、まさか、俺が恋人だってことを他の誰かにも言いました!?」
「大丈夫ですよ。誰にも言ってません」
「ホントですかっ」
よかった。
とりあえずよかった、と安堵の息をついた。
「きっと内緒だったんだろうと思ってねー」
「どうして…?」
「だってイルカ先生真面目そうだから。男同士で付き合ってるなんて、きっとできる限り知られないようにしてたんじゃないかなーってね」
「あっ。いえ、別にカカシ先生が恋人なことが恥ずかしい訳じゃないんです」
俺が記憶のないことにつけ込んで嘘をついたことが恥ずかしいんです。
とはさすがに言えない。
「わかってます。大丈夫ですよー」
俺の言い訳を、カカシ先生は何も知らないのに頷いてくれて、逆に励ましてくれたりする。
こんないい人を騙しているだなんて!
もう怒られるのを覚悟で本当のことを言うしかない、と頭ではわかっているけれど、言葉が喉の奥にひっかかってなかなか出てこない。
「それでですね。退院したらイルカ先生の家でお世話になってもいいですか?」
「えっ」
モタモタしている間に、カカシ先生がまた意外なことを言い出してしまった。
お世話になるって。俺の家って。
「しばらくは任務も回されないだろうから。いろいろ教えてもらいたいこともあるし」
「あっ、そうか。そうですよね…」
ぼんやりと当たり障りのない返事をしながら、心の中ではどうしようとオロオロしているうちに、
「だから、よろしくお願いします」
と押し切られてしまったのだった。


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2003.09.20


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