いつのまにやってきていたのか、空になった弁当箱を恨めしそうに見ている。
あれだけのお弁当に囲まれて、まだ食べるつもりだったのだろうか。いくら食べっぷりが良いとはいえ、カカシ先生はそこまで大食いじゃなかったはずなのだけど。
でもそれは、俺の勝手な思い込みだったかもしれない。すごくお腹が減っていたのだとしたら、申し訳ないことをしたと思った。それと同時に、まだ必要とされているみたいで嬉しかった。
「あの……もう要らないかと思って、同僚に食べてもらいました」
「い、要らないってなんでですか!」
肩をがしっと掴まれ狼狽える。
「だって、あんなにたくさんのお弁当に囲まれていたじゃありませんか……」
「そんなの、食べるわけないでしょう? イルカ先生のお弁当、楽しみにしてたのに!」
「えっ?」
それじゃあ、あれを全部断ってきたのか。
「どうして食べなかったんですか?」
「どうしてって。イルカ先生の手作りが一番だからに決まってるじゃありませんか」
一番って?
どう見てもあっちの方が高級食材をふんだんに使ってある豪勢なお弁当だったのに。
「何言ってるんですか。あんな料亭で作らせたのを詰め替えてきただけの弁当と、イルカ先生の手作りのお弁当を比べるなんて、そんな失礼なこと! いや、詰め替えないでお重のまま持ってきたのもありましたっけ。一手間も加えてない出来合いのものですよ?」
それは出来合いのものよりも手作りの方が暖かみがあっていいのは確かだけれども。でもそれは、上忍のくのいちなんて料理している暇ほど忙しいからであって、彼女たちにとっては手間とかそういう問題ではないのだ。お金をかけている分だけそれは愛情なんじゃないかと思う。
カカシ先生にそう言うと、言おうか言うまいか悩んでいるかのように少し視線を彷徨わせた。
何か困らせるようなことを言っただろうか。
「ま、それはそうかもしれませんけど〜。でも、俺にしたらあんまり意味がないんですよね」
「どうしてですか?」
カカシ先生は頭を掻いている。
「あ〜、だって俺が欲しい愛情はイルカ先生のだけであって、他のじゃないですから」
「え?」
俺は言われた意味がよく理解できなくて、聞き返していた。
するとカカシ先生はちょっと困ったように笑った。
「俺はイルカ先生が好きだから、たとえ他のがどんなに美味しそうに見えたってイルカ先生の作ってくれたお弁当が食べたいんです。それ以外は要りません」
カカシ先生が俺のことを好き。
信じられない。
混乱してまともな言葉が出てこない。
「俺の恋人になって、俺のためだけにお弁当を作ってくれませんか?」
「あの、だって……」
だって、黙って立っているだけであんな綺麗な女の人に言い寄られる人がだよ。どうしてこんな中忍でしかも男の俺に告白なんてしているんだろう。
真に受けて『はい』と言ったら、冗談ですよと笑われるに決まってるじゃないか。
「駄目ですか?」
まるで捨てられる寸前の犬のような縋る目で見つめられて、
「駄目じゃないです!」
と思わず叫んでいた。
だって、もう騙されててもいいやと思ったから。チャンスの神様は後ろが禿げているから、必ず前髪を掴めって誰かも言っていたし。
ともかく一歩を踏み出さないと、確実に前には進んでいけないのだ。
「それって恋人になってもいいってこと?」
「はい。不束者ですがよろしくお願いします」
半分ヤケになりながらもお辞儀をすると、カカシ先生はいつもお弁当を食べるとき以上の笑顔を見せてくれた。
「ありがとう、すごく嬉しいです!こちらこそよろしくね」
ぎゅっと抱きしめられて、これが本当に現実なのだと実感した。
今日は、カカシ先生を好きだと気づいて失恋したと思い込み、告白されて恋人になった。なんていろんなことがいっぺんに起きた日だろう。ぼうっとなりながらそう思った。
「ところで、俺の大事なお弁当を食べたの誰ですか?」
「あ。すみません、同僚が……」
そういえば同僚はまだそこにいて見ているというのに、告白しあったり抱き合ったりしちゃったよ! なんて恥ずかしい。
同僚はさぞ笑っているだろうと思えば、なぜか顔から血の気が引いていた。
「ちょっとアンタ。俺のお弁当食べたって? 恋人の手作りだっていうのに。食べた物を全部吐き出しなさいよ」
「ひぃぃぃ」
今まさに逆さ吊りにしそうな勢いで迫られ、同僚は恐怖のあまりほとんど白目状態だった。なんといっても木の葉の誇るエリート上忍に睨まれているのだから。
「なにもそこまでしなくても!」
腕を掴んで止めると、しぶしぶといった態で手を緩めた。その隙に中忍らしからぬ素早さで、同僚は逃げ出していた。
「はたけ上忍、申し訳ありませんでしたぁ!」
泣きながら駆けていく後ろ姿に、申し訳ないと心の中で謝った。
俺が勝手に必要ないと思って弁当を食べさせたばっかりにこんな目に遭って、後で充分なお詫びをしなくては、と思った。
しかし、それは果たされることはなかった。なぜならば。
同僚が言って回ったせいで、『あれは賄賂じゃなくて愛妻弁当でした』という噂があっという間に広がり、顔から火が出る思いを味わったからだ。
カカシ先生は気にした風でもなく、むしろ嬉しそうだった。
「いいじゃないですか。交際宣言をしなくてもいいから楽ですよ」
というのが理由らしい。そういうところはおおらかな人だと思ったりする。
しかし、実は噂が広まった方が悪い虫が寄ってこなくていいとカカシ先生が考えていたとわかったのは、かなり後になってからだった。これはまた別の話。
それは賄賂なんかじゃなくて。
END
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2006.06.26初出
2009.10.17再録 |