「不思議なことにね。あの時のことはその後、本当に全然思い出しもしなかったんです。 きっとイルカ先生がずっと俺のこと心配してくれていたから、俺は傷つく必要がなかったんじゃないかな」
「そんなものですか?」
「ええ。そんなものです」
きっとそうなのだと思った。
俺を案じてくれる想いが優しく俺を包み込んでくれて、傷つかなかったのだ。
そう信じることにした。
「俺のお願い、聞いてもらえますか?」
「はい。どんなことですか」
「ずっと俺のこと忘れないでくださいね。どんなことがあっても、忘れないで」
それが今の一番の願い事です。



その後、アスマに会った。
礼を言うべきかとも思ったが、そんなことを求めているわけではないらしいので黙っていた。
「結局さ、お前の自業自得みたいなもんじゃねーか」
「まーね。悪かったよ、つきあわせて」
「ふふん。お前が狼狽えてる姿は結構楽しかったぜ」
「うるさいなー、この髭熊!」
「ま、これから精々頑張れや」
今は気分がいいので、アスマにからかわれても気にならなかった。
むしろ、そんな軽口ですべてを流してくれることが嬉しかった。
けれど。
そんな喜びも今の俺には霞んでしまいそうになる。
だって明日になってもイルカは俺のことを覚えているのだから。
そして『好き』だと言ってくれるのだから。
閉じこめられ、心の奥底にしまわれてしまった記憶はようやく解放され、いつか懐かしく思い出される日が来るだろう。
イルカの記憶も。
そして俺の記憶も。
すべてがあるべき姿に戻ることができるだろう。


END
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2002.03.09


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