「だっておれにはなんの力もなくて、なにもできなかったから……せめて。
せめてねがいをかなえてあげたかった」
「だから言われたとおりに『朝になったら忘れ』たわけだ」
こくん、と頷くイルカ。
カカシはようやく思い出した。
あの時の子はイルカだったのだ。
俺の勝手な八つ当たりみたいな言葉をずっと守ってくれていたのだ。
イビキが眼でカカシを促す。
言葉を取り消せ、ということだろう。
「ごめんね、イルカ。もういいから。忘れなくていいから。俺の本当の望みは俺のことを忘れないでいれくれることだよ」
手をぎゅっと握りしめ、俺の本当の望みが伝わるように、と祈る。
「……ほんとうに?」
「本当だよ」
「つらくない?」
「つらくないよ。もう大丈夫だから」
「……よかった。もうつらくないんだったら、よかった」
そう言ってイルカは安堵し、嬉しそうに笑った。
その後、イビキによって催眠は解かれ、疲れたのか眠ってしまったようだった。
「多分これでもうイルカがお前を忘れることはないはずだ」
イビキの言葉にカカシは頷いた。
さらに「少し寝かせておいた方がいいだろう」と言って去っていった。
アスマも部屋を出ていき、カカシだけが残された。
寝顔をずっと見つめていた。
そう、確かにあれはイルカだった。あの黒い髪と黒い瞳。鼻筋の傷はまだなかったが。
何故忘れていたのだろう。
ああ、そうか。
あの時自分の汚れてしまった手で、この子に触れることはしてはいけないと思ったのだ。
綺麗な綺麗な心。
それに比べて血に濡れた俺。
この先、もう触れることも話すこともできないなら忘れてしまった方がいい、と。
それで出会った事実を裏切られた記憶とともに封印してしまったのだ。
子供の頃の方が正しいのかもしれない。
自分がこの人に触れることはよくないことなのかもしれない。
それでも大人はずるいから、自分の望みを叶えるためになんでもしてしまうのだ。
「……カカシ先生?」
ふと今まで閉じられていた瞼が開いていたことに気づく。
「イルカ先生、気分は悪くないですか?」
「はい、大丈夫です。…あの、ご迷惑かけて申し訳ありませんでした!」
「もしかして今までの記憶が全部あるんですか?」
「…はい。全部覚えてます」
今にも布団を頭からかぶって隠れてしまいそうなイルカを止めて、体を起こさせた。
「いえ、謝るのは俺の方です。すみませんでした」
どうしてカカシが謝るのかわからず、イルカは首を傾げた。
「実はずっと忘れていました、あの時のこと。あの時の子がイルカ先生だってわからなかった」
「そんなこといいんです!」
「自分で言ったくせにイルカ先生に忘れられて傷ついたんです。馬鹿ですね」
「それは俺の方です。暗示にかかりやすい、っていうか。思いこみが激しい、っていうか。すみません」
「ひとつ聞きたいんですけど、どうして日記つけてまで俺のこと覚えてるフリしたんですか?」
イルカの顔にサッと朱色が走った。
「ど、どうしてそれを!」
「ナルトから聞きました」
少し泣きそうで、視線が泳いでいるイルカ。
「あの、だって、カカシ先生があんまり哀しそうな顔していたので…」
「俺のために?」
イルカは恥ずかしそうに俯いて、ようやく口を開く。
「………笑ってほしかったんだと思います」
イルカが自分のことを覚えていてくれればもう胸の痛みはなくなるのだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。いつもはジクジク痛むしかなかった胸が、今は鷲掴みにされたように痛む。
それはすごく痛むけど、どこか甘いんだ。
忘れろと言われて忘れたのに、忘れて欲しくないと我が儘を言う俺のために。
どちらの望みも叶えたくてあんなことを。きっとイルカが懸命に考えた唯一の解決策だったのだろう。
俺が笑うために?
そのためだけに?
「イルカ先生、あなたのことが好きです」
俯いたまま、ますます赤くなっていく耳を祈るように見つめる。
「……たぶん俺もです」
「『たぶん』って言葉は聞きたくありません」
そう言うとイルカは苦笑した。子供のようだと思っているのだろうか。
でもどう思われてもかまわない。好きになってくれるのならば。
「はい。俺も好きです」
その言葉は胸の痛みをすべて消し去っていった。
後に残るのはただ高鳴る胸の鼓動だけ。
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