閑話その2 気苦労の多い日常


俺が床の上に仕事道具を広げて確認作業をしていると、テーブルの上から不思議そうにその作業を見ていたイルカがひょいと床に下りて近付いてきた。
「何やっているんですか?」
「んー、危ないから近くにきちゃ駄目だーよ」
クナイに手を出そうとしたイルカを間一髪摘み上げると、再びテーブルの上に戻した。

ここ最近暇を持て余していたが、ずっと打ち合わせを続けていた任務に出向くことになった。
クナイや手裏剣や刀等といった武器、巻物や符類、兵糧丸や医療品類、防寒具に水等等、細々としたものを一々手に取り確認するとバックやらに詰め込んでいく。
これでいつでも出発出来ると気合が入るが、ふと視線をテーブルに向けると、目を丸くしたイルカが視界に入る。
任務に対して不安は余りない、気を抜かず気負いせず、ただ己のやるべきことをするだけだ。
不安があるとするならば、数日留守になった時のこの小人の事。
衣食住は一人ならぬ一小人で大丈夫だろうか、半日留守番は出来るが数日は大丈夫だろうかと具体的なことをあげれば限がない。
イルカは怖がりだ。
自分自身がカップラーメンの精とかいう不思議な存在であるにも関わらず、何故かお化けの存在を信じていて、それを怖がっている。
暗闇を怖がるのは日が昇っている間に活動する哺乳類の本能であるのは判る。
それではこの小人は哺乳類なのだろうか。
ジッとイルカを見つめると、イルカは俺の顔を見つめ返して不思議そうに首を傾げた。


 *


昨晩のこと、ぐっすりと寝ていた俺は、丑三つ時に起きてしまったイルカに叩き起こされた。
「あのっ、あのあのっ、…起きてくださいっ」
ペチペチペチペチと頬を叩く小さな手に、痛さは感じられないが余りのしつこさに根負けした。
放っておくと自然と落ちてくる瞼を無理矢理開いて溜息をついた。
「…何?」
「あの、その…、昨日昼寝しちゃったから…、こんな時間に起きちゃって」
「…はあ」
「その…怖くて」
「怖い?」
俺が億劫そうに上半身を起こせば、肩の辺りに座っていたイルカがころりと転がり落ちて腰の辺りにひっくり返った。
ジタバタと布団の上でもがくイルカをつまみあげると、ひょいと枕の上に移動させて翳む目を擦った。
「何が怖いの?」
「あの、その…」
何度か言いよどんだイルカは、俺が何度か促すとしぶしぶと暗くて怖いと白状した。
暗くて怖い。
「そんなに暗いのが怖いの?」
「だって、お化けとか、出るかも」
お化け。
素敵に新鮮な理由だ、お陰で眠気が吹っ飛んだ。
「んー、じゃあ部屋明るくして寝よっか?」
光りが入らない暗闇の方が俺は落ち着いて眠れるのだが、その暗さが怖くて眠れないとイルカに一々叩き起こされていては寝不足になってしまう。
別に明るくても寝られるし、本来人間が熟睡できる明るさは豆電球がついている位だと言う。
溜息をつくように息を吐きながらベッドから立ち上がると、枕元で俯いていたイルカが俺の動きを追って必死な声を出した。
「あ、明るくしなくても、その、一緒に寝てくれれば…大丈夫ですっ」
「…ダーメ」
イルカの提案を俺はすっぱりと否定すると、カチカチと電気の紐を引っ張りオレンジ色の薄柔らかい明かりを灯した。
こんな小さな生き物と一緒に寝るなんて危険は冒せない。
意識がある時は大丈夫だろうが、ベッドで寝てしまえば短くても無意識の時が絶対にある。
その時に踏み潰したり蹴飛ばしたりとしてしまったら、朝起きて圧死した小人を見つけてしまうかもしれない。
自分と比べ物にならないくらいの質量の生き物と一緒に寝る危険性というのを、この小人は判っているのだろうか。
しょんぼりと項垂れるイルカを見下ろして、俺は軽く溜息をつくとしゃがみ、イルカに顔を近づけた。
「そんなに怖いなら、寝るまでここで起きてたげるから」
「…」
「しょうがないな、ほら」
黙って動かないイルカを摘み上げベッド代わりのカップラーメンに落とすと、小人はしぶしぶといった感じに布団を被る。
イルカが本当に寝るまでそこに居てくれるのと伺うように目を向けるので、俺はどうしたものかと考えた。
幼い子供扱いをしたらイルカが怒るだろうと思ったが、そもそも俺は子守唄を歌おうにもそんな穏やかな歌を知っているわけでもなく、絵本を読んでみようも俺の本棚には絵本も児童書も置いてないし、童話を暗唱できるわけもない。
目を瞑ったものの少しも眠る様子を見せないイルカに、俺はぼんやりと頭に思いついた事を呟いた。
「昔話をしようか」
「…?」
折角瞑っていた目を開いて見上げてくるイルカに、俺は欠伸をかみ殺して笑った。
「むかーしむかし、俺がまだアカデミーに通う前の、3、4歳位の時かな」
俺の家には昔から犬が沢山いてね、俺の赤ちゃんの時の写真は殆ど全部に家のワンコが一緒に写っているんだよ。
一緒に任務に行く忍犬だけでなくてね、愛玩用…ま、ペットとしてのワンコも沢山いたんだ。
俺の両親は犬とか猫とか、とにかく動物が大好きでね〜、家の中はいつもにぎやかだったよ。
人もそうだけど、犬も猫も世話好きっていうか子供の世話が上手いのがいてね、俺は両親の他に犬に育てられた口なのよ。
それでね、俺には兄弟みたいなワンコがいてね。
そんな風に思いつくままに言葉を連ねていると、イルカは最初キョトンと不思議そうな顔をしていたが、次第にうんうん頷き始め、時折クスクスと声に出して笑った。

「それでね、そのポメラニアンっていうのがね、お馬鹿だけど可愛くてね…、と」
実際のところ30分も話していないだろう、気付いたらイルカが寝息を立てていた。
暫らくイルカを窺ってみたが、起きる様子はない。
俺は静かに長い溜息をつくと、立ち上がり大きく伸びをしてベッドへと向かった。
毎日眠れないと訴えられると寝不足になってしまう。
昼間イルカが昼寝しないで済むように、何らかの対策を立てないと駄目だろうか。
「…本でも、読ませてみるか…」
俺はベッドにぼすりと倒れこむと、布団に潜り瞼を閉じた。


 *


俺は暫らく馬鹿みたいにイルカと視線を絡めて、自分の居ない数日間について悩んだ。
イルカを任務に連れて行くのはもってのほか、危険すぎる。
誰かに預けて世話をしてもらうのが一番なのは判っているが、突然この謎の生き物を受け入れてくれるような人物が頭に思い浮かばない、別に信頼出来る仲間や友人がいないわけじゃないのに。
一人でこの部屋で留守番してもらうと思うと、例え忍犬を数匹つけても理由のない不安が頭をよぎる。
「あー…のさ」
「はい?」
「俺、今度任務で…何日か留守にするんだけど…」
「そうなんですか?」
イルカはきょとんと瞬きすると、小さな手を握り締めて胸を張ると本人はドーンッというつもりなのだが、誰がどう見てもポヨンと情けない感じに胸を叩いた。
「では留守番は任せてくださいっっ!!」
「…はあ、そう…、一人で平気?」
本当に一人で大丈夫だろうかという俺の不安を余所に、イルカはえっへんと胸を張ったまま今度は腕組をした。。
「大丈夫ですよっ!俺向こうでも一人で暮らしていましたからっ、慣れてます!」
「…へえ、そう…、向こうって妖精の世界ってやつ?」
「そうです!」
「…妖精にも世帯持ってる人っているの?」
「いますよ、でないと子供できないし」
「…へえ…」
もう何が何だか、任務前に余計な知識を仕入れてしまった。
抜けてしまった気合を入れなおそうと、俺は再び詰め込んだ荷物の蓋を開けて中を確認した。
そして台所に向かうと、温めれば直ぐに食べれる日持ちするような料理に取り掛かった。
「何で料理してるんですか?」
「んー」
「お腹空いてるんですか?」
「んー」
「俺お腹いっぱいですよ?」
「んー」
背後からのイルカの質問に生返事で答えながら、俺は料理の手を止めることなく頭の中で任務のシュミレートをした。
早ければで3日、最低でも1週間以内に里に帰る。
妖精の食料事情は知らないが、飢え死にさせないようにはしておかないと。
万が一の時は仕方がない、火影のじーさんを使おう。
トイレは平気、風呂は我慢してもらおう、着替えを追加で作ってあるから大丈夫。
一人寝が寂しくないよう、忍犬を1匹、いや2匹置いておこう。

何時の間にか任務のシュミレートは、留守中の小人の衣食住のシュミレートに変わっていた。


 *


「大丈夫ですか?忘れ物はないですか?緊張してませんか?
 気をつけて、気をつけてくださいね」
「んー、平気よ」
「いってらっしゃいっ、いってらしゃいっっ、お気をつけてぇっっっ」
任務当日、いつも以上に熱心に手を振り声を裏返していってらっしゃいを言うイルカと犬2匹に見送られた。
イルカの余りの必死さに苦笑い気味に手を上げたが、部屋を出て扉を閉めれば気持ちは任務へと向かう。
いつもと変わらない歩調で、俺は歩き始めた。

里の入り口で待ち合わせていた仲間と共に扉をくぐり、当日日が暮れる前に予定場所へ到着した。
上忍と特別上忍で組まれた少人数の編隊は、やはり移動が早い。
何度も一緒に任務をしている仲間なので気心もしれているし、気遣いも無用、傍からは暢気そうに見えるであろう一休み中に、誰からともなく、今回は俺が妙に急いでいたり焦っているように感じると言われた。
そうだそうだと口を揃えて俺以外の全員が頷き同意すると、じっと顔を凝視するものだから落ち着かな気に顔を撫でた。
そんな風に焦りが顔に出ているのだろうか。
女が出来たのか、それともその女との間に子供が出来たのか、もしかしてもう臨月だとか、もう子供が生まれて家で泣いて待っているとか、その上に女が産後の肥立ちが悪くて危篤で入院中とか、実はその女は良いところのお嬢様で俺と駆け落ち状態で里にやってきて入籍は出来ないが内縁の妻で妊娠して子供は無事に出産したものの家を出てからの無理も祟って産後の肥立ちが悪くて重篤で入院しそこへ実家の執事がやってきて跡取りの子供を取り上げようとして何とか子供は取り返せたもののお嬢様の実家が今度は任務として子供の奪還を依頼してきて任務や里上層部や実家との軋轢やらに苦しんでいるとか。
突っ込みどころ満載の話で盛り上がる仲間達を黙って眺めた俺は、暇なんだなーと心中で呟き頷いた。
「じゃ、そういうことでいいから」
おお〜っとどよめいた仲間達は、笑いながら俺のために任務を早く終わらせることを誓った。
その誓いは冗談だったのだろうが、結果的に任務は予定よりも早く怪我人が出ることなく無事に完了した。
疲れもなんのその、行きと同じように足を緩めることなく里に帰りついた俺達は、入り口を潜ると早々に解散した。
仲間達は解散の際に頑張れよ等俺の背中をどついて言ったが、もしかして女が待っていたり、嫁が妊娠していたり、子供が生まれたばかりなのは俺でなく自分達の事なんじゃないだろうか。
飲みに行くでもない銘々別れて歩いていく背中を眺めて、俺は苦笑いした。

報告を済ませて数日振りの自宅前に立つ。
帰り道で部屋を見たが、既に暗くなっているのだが電気が付いていなかった。
もしかしてイルカは既に寝ているんだろうか。
鍵を回して扉を開けると、真っ暗な玄関の上がり口にはイルカと、その背後に犬が2匹座っていた。
「…っ、お…お帰りなさいっっ」
びょんっと突然飛びついてきたイルカは、高さが足りずに俺の膝辺りにしがみ付いた。
「ちょっと、危ないって」
俺がイルカを引っぺがそうと服を摘んだが、必死でしがみ付いてくる小人はどんな馬鹿力か離れなかった。
困って少し前かがみの微妙な体勢のまま、イルカと一緒に留守番してくれた犬達に礼を言うと、顔を見合わせた忍犬は頷くと口を開いた。
「主殿、この子は約定通り留守居をやり遂げた」
「ん、お前らもありがとうね」
犬の頭を撫でると気持ち良さそうに目を閉じたが、目を開くと少し困った顔をした。
「しかしながら、その…困ったことに、主殿が留守の間この子は余り寝ていない」
「どして?」
「その…何というか、暗くて怖いと…主殿が居なくて不安だと。
 電気を点けようとはしたのだが、この子も拙者共もどうにも上手くいかず…、力が足らずに申し訳ない」
「そりゃ…まあ、ご苦労様だったね」
頭の中に泣くイルカとそれを必死に慰める犬の構図が浮かび、俺は苦笑いするともう一度犬の頭を撫でた。
そして膝にしがみ付いたままのイルカを苦労して剥がすと懐に仕舞いこみ、背負っていた荷物を玄関に下ろした。
「出かける前に準備しておけば良かったよ、じゃあ行こうか」
「…へ、は、ど、どこに、でふか?」
懐から顔を出して、泣いていたのかズビズビズバーと鼻を啜るイルカの頭を突付いて、俺は踵を返した。
「ん、電気屋」
こうなったら最後まで面倒を見ようと思ったのか、付き合いの良い忍犬達を引き連れて、俺は閉店間際の電気屋へ滑り込んだ。
これやあれやと説明すると、電気屋の主人は店仕舞い直前であったにも関わらず愛想良く商品を持って来た。
取り付け方法や操作方法を簡単に説明を受けると、その大きなダンボールを抱えて帰宅した。
懐で大人しくしていたイルカはいつの間にか泣き止み、俺がダンボールの中身を取り出したり、天井から室内灯を外したり付けたりするのを不思議そうに見つめていた。
「はい、完成」
ビニールやら梱包剤やらが散乱するダンボールの中から取り出したリモコンに電池を入れて蓋をすると、俺はイルカを机の上に移した。
「あの…」
「ん、ほら、これ押してごらん」
何だかよく分かっていないイルカは、俺が示すリモコンの真ん中のスイッチを両手で押した。
ペコッと間抜けな音と共に、取り付けたばかりの室内灯に灯りが点いた。
「…わっ」
目を丸くして頭上を見上げるイルカに、俺は良しと頷いた。
「何度か押すと段階で灯りが小さくなって最後に消えるけど、更に押すとまた点いてって繰り返すから」
「はあ」
「これなら暗くて怖くても、灯り点けれるでしょ」
生返事しながらペコッペコッとスイッチを押すイルカに説明すると、俺はうーんと伸びをした。
任務帰りで疲れているのに、更に一仕事してしまった。
まあ小人用に用意しておいた食事がまだ残っているだろうし、今日はそれを食べて風呂に入って寝てしまおう。
飽きることなくスイッチを押しているイルカを忍犬達に任せて、俺は風呂の仕度をしに部屋を出て行った。

その後夕飯と風呂を済ませて早々に寝ることにし、俺は布団に入るとイルカに電気を消すよう頼んだ。
ペコペコッと何度か小さな手がスイッチを押すと、照明が徐々に灯りを弱くし、最後に真っ暗になった。
暗闇にまだ慣れない目にはテーブルの上のイルカがどう動いているかは見えないが、ゴソゴソとする物音が布団に潜り込んだことを教えてくれた。
疲れているので直ぐに眠りに付くだろう、瞳を閉じると体が重く布団に沈んでいくように感じる。
「あの…」
「…ん?」
「あの、ありがとうございます」
「…うん」
「へへっ、おやすみなさい」
「ん、おやすみ」
笑うイルカにつられて、俺の口も自然と綻んだ。


その日、久しぶりに幼い頃の犬達の夢を見た。
その中に自然と溶け込んでいるイルカも出演していたが違和感がなくて、朝起きてから少し笑った。





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