3. 七夕は願いと共に
ここのところ出し惜しみしているのか情勢が落ち着いているのか、高ランクの任務が回って来ない。
その代わりにか下忍が受ける様な低いランクの雑務を受けてばかりいる。
そこまで人員が足りないのか、骨休めのつもりなのか、立っているものは親でも上忍でも使えの精神なのか、それとも虐めだろうか、今日の任務は何と七夕祭の為の竹苅りだ。
本来なら笹を飾るのが正式であるが、依頼主の商店街の面々は見栄えの良い背の高い竹を飾るという。
竹林のある里山に向かうと、間引きする為に印の入った今年生えた若いものを根元近くから切り倒すと、その結構な量になった竹を纏めて荒縄でくくると、肩に担いで持ち帰った。
里の中に入ると、竹に釣られて俺の腰の位置まで背が達していない代償の子供達がどこからともなくワラワラと集まり、目的地の商店街に辿り着く頃には先に進むのに難儀するくらいに囲まれてしまった。
依頼主の商店主が出てくると、どうしたもんかと立ち往生している俺を見てにこりと笑った。
「随分と沢山持ってきたねえ、ありがとさんよ。
ほーら、これ取ったら散った散った! 書いたら持っておいで」
商店主が手に持った紙束を子供達に渡すと、わぁっと歓声を上げて子供達は紙を手に走り去った。
俺はそれを目を丸くして見送り、やっと空いた場所に竹をそっと下ろして縄を解いた。
竹の飾りつけや設置は商店主がやるので、俺の仕事はこれで終わりだ。
ヤレヤレと肩を回すと、商店主があまったのか紙を俺の目の前に差し出した。
「はいよ、あんたにもあげるよ」
別にいらないと突っ返しても良かったのだが、瞬間イルカの顔を思い出した。
「…どうも」
「あんたも書いたら買い物ついでに持ってきな」
紙を受け取ると、笑う商店主に軽く頭を下げて踵を返した。
「あれ、今日は早いんですね」
報告書を提出して暫らく手持ち無沙汰に控え室に待機していた俺が寄り道することなく真っ直ぐ帰宅すると、イルカは目を丸くして止める間もなく机に広げた新聞の上から飛び降りて玄関へと出迎えに来た。
「お帰りなさいっ」
「んー、ただいま」
靴を脱いで部屋に上がると、屈みついでに見上げるイルカをつまんで机の上へと戻した。
イルカは最近留守番の時間潰しに読書をするようになった。
前々からイルカは本を読んでいる俺の手元を覗いていたのだが、予想と反してイルカは文字を読む事が出来た。
かなり難しい内容も読解でき、初めて読む文字でも教えてみるとあっさりと理解した。
冗談半分に渡したイチャパラのように簡単な内容なものは1日、それなりに難解なものだと数日かけて読み進め、部屋に置いてある大量の蔵書はそろそろ読み尽くす勢いだ。
ミニマムな体系とは反比例して、頭はかなり良いらしい。
余り使えなくみえるのは、よく言えばほのぼのと、悪く言えば単純と受け止められる容姿と性格と、時折空回りしてしまうヤル気とドジのせいなのかもしれない。
広げられた新聞の下敷きになっていたイルカの昼ご飯の皿を下げて洗いながら肩越しに背後を振り返ると、イルカが期待に満ちた瞳で見つめ返した。
「今日の晩御飯は何ですか?」
「んー、何か食べたいものとかある?」
「えっ、えーと」
質問を質問で返され真剣に悩むイルカに、俺は冷蔵庫の中からトマトとキュウリを出しながら振り返った。
「簡単なものでもいい?ソーメンとか」
「え、あ、はいっ!俺ソーメン好きですっ」
「そ」
何を作っても好きだの美味いだの言うイルカに好き嫌いがないよなあと感心し、水を入れた大きな鍋を火にかけ、薬味のネギと生姜を刻み、冷蔵庫から作り置きしておいたつゆを取り出し、既に空いた袋から出した素麺二束を手に沸騰待ちをしていて、ふと自炊に慣れたというか、楽しんでいることに気付く。
俺、今、鼻歌歌っていなかったか。
俺は基本的に自分で嫌いだと思うことはしない。
料理は面倒臭いと思うことはあるが、ふと肩越しに背後を振り返った。
机の上に広げた新聞を苦労して畳むイルカが、俺の視線に気付いたのか手を止めて顔を上げ、暫らく無心で見つめ返したかと思うとにぱっと破顔した。
美味いと笑いながら一緒に食事をしてくれる誰かが居るなら、毎日きちんと自宅へ帰り、手間隙かけて食事の仕度をするのも悪くない。
そんなことを考えつつ沸騰した鍋に素麺を放り込み、ほだされているどころかのめりこんでいるんじゃないかと俺は苦笑いした。
イルカの畳んだ新聞を机の端に寄せて大小皿の入り混じった配膳を済ませると、最後に買い置きしていた缶ビールとコップとお猪口を持ってイルカは椅子に座った。
「今日はコッチも付き合ってよ」
滅多にない酒席の誘いに、イルカは一も二もなく頷いた。
イルカは程々に酒に強い。
俺の飲む酒をつまみ食いならぬつまみ飲みをして顔を真っ赤にさせたが、倒れることなくいつも以上に笑った事が何度かあった。
イルカ用のお猪口に器用に零すことなくビールを注ぐと、残りを自分のコップに注いで、それを持ち上げるとキンッと音を立ててイルカのお猪口に当てて乾杯した。
ごくっごくっごくっ…ぷはーっ。
カカシがちびりと一口飲んでいる前で、イルカは音を立ててビールを一気に飲み干して満足げに大きく息を吐き出した。
「かーっ、美味いですねぇ、コレのために今日一日頑張ってるんですよね」
何処かの親父のような台詞が続き、俺は目を丸くして爆笑しそうに歪む口元を手で押さえて隠した。
「…そ、そーね…」
声が震えてしまったが、噴出さなかったことを褒めて欲しい。
暫らく笑いの発作と戦うと、エヘンエヘンと咳払いをし、気を取り直して箸を取った。
イルカ用の皿にまめまめしく食事を分け与えビールの追加をお酌しつつ、ズルズルと素麺を啜り、切っただけのトマトや味噌をつけたキュウリをかじった。
「ほえで、ひょーのおひおとは、おーらったんれすか?」
爪楊枝を改良した専用の箸を使ってチュルチュルと素麺を啜りながら聞き取り辛く、それで今日のお仕事はどうだったんですか?と質問をするイルカに、俺はそうだと懐を押さえると、前を開けたベストから紙を取り出すと机の空いている場所に置いた。
「これ、今日依頼人に貰ったんだよ」
「?、何ですか、それ」
「知らない?短冊だよ」
不思議そうにイルカは首を傾げると立ち上がり、並んだ皿を避けて紙を取り上げた。
折り紙を4分の1程に切られた紙の端には穴が開き、糸が付いている。
本当に知らないのか、短冊を持ったままのイルカの首は右へ左へと傾きを変える。
そんなイルカを見ながら、俺は嘘か真か判らない七夕伝説を語った。
昔々一番偉い神様の娘がいました。
その娘の仕事は機を織ること、神様の言いつけを守って娘は毎日仕事に精を出しました。
でも娘らしい楽しみを一切しないで仕事に励むことを不憫に思った神様は、娘を働き者の牛飼いの青年と結婚させることにしました。
すると娘と青年は仕事を忘れて遊んでばかり。
最初は新婚だからと見守っていた神様もとうとう怒って娘と青年を大きな川を挟んで離れ離れにさせました。
嘆く娘と青年に、真面目に働いたら1年に1回会わせてあげることを約束しました。
それから娘と青年は7月7日に再会するために、仕事を頑張りましたとさ。
「元々は女性向けの行事だったらしいよ、針仕事や機仕事が上達するようにってね。
まあ他にも色々な民話やこの時期のお祭りや行事なんかもあって、合わさったり消えたりで今現在残ったお祭りがコレ」
トントンと指で短冊を突付く。
「この短冊に願い事をかいて笹に吊るすと、さっき話した神様の娘と牛飼いの青年が願いを叶えてくれるんだって」
年に1回会えるイチャイチャラブラブの日に自分たちの願いをかなえてくれなんてお願いするの、変だと思わない?
そう最後に結んだ。
そんなことないですよっ、うわぁ何お願いしようかなあ、と期待か希望に目を輝かせると思ったイルカが、何故か紙を持って俯いたまま動かない。
どうしたのだろうと指で突付こうとすると、イルカが俯いたままボソリと呟いた。
「羨ましいなあ…」
「…は?」
羨ましいと言ったか、イルカは。
もしかしてイチャイチャが羨ましいのかと、俺が目を丸くすると、イルカは俯いたまま言葉を紡ぐ。
「俺もそんな風に、人の願いを沢山叶えられるような、人を幸せに出来るような、立派な精霊にならなきゃいけないのに」
「……は??」
「なのに、なのに…」
ひいっくと大きなしゃっくりを上げたイルカは、途端にふえ〜ふえ〜と泣き出した。
突然大泣きしてしまったイルカに何が何だか分からずに硬直した俺は、その辺に転がっていたティッシュボックスに手を伸ばすと数枚取り出し、ふえふえ泣き続けるイルカの顔を拭った。
「どうしたの? 何泣いてるの」
顔を近づけると、持っていた紙をぐしゃぐしゃにしたイルカが泣きじゃくり聞き取り辛い言葉で何やら訴える。
「お、俺、昔っから、成績悪くて、要領悪くて、お、おちこぼれで。
か、かか、カップラーメンの精に、なったのも、もう、他に、宿れるもの、取られた後で、なくなってて。
他の、仲間達、みんな、力があって、人、幸せに出来るのに。
俺、俺だけ、何も、で、出来ない、反対に、お世話、かけてばっかりで」
アナタにイチャイチャパラダイスみたいな彼女作って幸せな生活を送って貰わないといけないのに。
そう締めくくったイルカは、その後も何か一生懸命訴えていたが、聞き取れないぐらいに泣きじゃくり意味は判らなかった。
頷きながら一々復唱して何だか色々とナルホドと納得してしまったのだが、ふと思いついて首を傾げた。
「もしかして3つ願いをかなえますっていうの、相手を幸せにするために訊いてきたの?」
そう尋ねるとイルカは泣きながら何度も頷くので、俺は呆れた溜息をついた。
「馬鹿だねぇ」
馬鹿だ、イルカは。
泣きじゃくるイルカの目の前に顔が来る様にだらしなく体を机の上に伸ばした俺は、イルカの涙と鼻水でびしょ濡れになったティッシュを取り上げると、新しいものと交換した。
「どんなに力があっても、能力が高くても、相手の言う通りに願いを叶えても、それで相手が幸せになるとは限らないんだよ。
逆に、自分も相手も不幸になるかもしれない。
そこのところを判っているのかね、この精霊さんとやらは、ん?」
笑いかけると、イルカはヒックヒックとしゃっくりは止まらないものの泣き声を上げるのを止めて俺を不思議そうに見つめた。
「アンタの知っている成績良くて、要領よくて、エリートな仲間は可哀想だね。
相手の願いを叶えて、本当に相手がそれで幸せになったかどうか分からないのに、幸せにさせたと思っていい気になってる」
まるで力だけを追い求めて満足していた昔の自分みたいだ、と俺は苦く笑った。
呆けたように俺を見上げるイルカの頭を、人差し指で何度も撫でた。
「それにアンタは何も出来ないことないでしょ?」
「どして、ですか」
「だってアンタ、俺を幸せにしてくれてるじゃない」
例えば任務で磨り減った心と疲れきった体で帰ると、部屋で迎えてくれる存在がいる。
一緒にご飯を食べたり、風呂入ったり、話をしたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、心配したり、喧嘩したり、嬉しくなったり。
一人じゃ出来ない、二人の間の小さなことの積み重ねが、本当に幸せだなあって思ったりするんだよ。
ぽかーんと口を開けたまま、呆けた顔を続けるイルカに、苦笑いが深くなる。
「んー、じゃあ願いを3つ叶えてもらおうか。
ひとーつ、そろそろ泣き止め〜」
もう一度イルカが手にしたティッシュを交換すると、イルカの頬を指で軽く擦った。
「ふたーつ、そんで笑え〜」
むにゅむにゅとイルカの頬を指で挟んで揉むと、慌てふためくイルカの様子が可笑しくて小さく笑う。
「それから、みーっつ、これから先、ずっと一緒にいてくれない」
イルカは目を丸く見開いて驚きを表した。
「…ずっと?」
「そう、ずーっと」
「…一緒に?」
「そう、一緒に。
俺の家族になってよ、イルカ」
駄目かな?と笑うと、イルカの見開いていた目が再び潤み出し、ティッシュを放り出すと俺の顔面めがけて飛び掛ってきた。
うわっと思わず声を上げて両目を瞑ると、俺の鼻にセミのように張り付いたイルカは、ブエ〜ブエ〜と泣き始めよりも遙かに大きな声で再び泣きじゃくった。
「ちょっと…、あーもー、しょうがないなぁ」
鼻先が温く濡れてしまい、滑るのかズルズルと落ちていくイルカを片手で支えると手の平にぽてっと落ちてきた。
指先で顔を拭ってやると、イルカは今度はその指にしがみ付いてブエブエと泣く。
「俺の願いは叶えてくれるの?」
尋ねれば、イルカは泣きながら、うんうんと何度も頷く。
「じゃあ代償を払わないとね、俺がアンタの願いを3つ叶えてあげるよ。
言ってごらん、アンタの願いを」
うーうー一生懸命涙を止めようと顔を拭っていたイルカは、俺の顔を見上げると妙に真剣な顔になった。
「名前、教えてください」
名乗ってなかったっけ?と目を丸くする俺に、イルカはうんうんと頷く。
イルカと出会った頃からのことを思い返すと、確かに名乗っていない。
「ごめんね、俺はね、カカシっていうの、はたけカカシだよ」
「カカシ、さん?」
「そう、別にさん付けすることないよ。
で、それから?」
「さっきみたいに、俺のこと、アンタじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでください」
「イルカって?」
うんうんと頷くイルカの顔が、徐々に泣き顔から明るい顔に変わっていく。
「それで、もう一つは?」
「その、一緒の布団で、寝ちゃ…駄目ですか?」
イルカが余りにも小さいが故に無意識に踏み潰してしまう危険から一緒に寝たいと何度願われても断っていたのだが、どうやら諦めていなかったらしい、恐る恐る伺う様に見上げるイルカに、俺は思わず噴出して笑った。
「いいよ、お安い御用だ〜よ、イルカ」
「…今日だけじゃなくて、毎日ですよ」
「うん、毎日、一緒に寝ようね、イルカ」
泣き止んだイルカは鼻をすすると、カカシの願い通り、にかっと嬉しそうに笑った。
*
その後、中断していた夕食を再開し食事を済ますと、俺はイルカを胸元に忍ばせて商店街へと向かった。
時間が遅くなっていたせいで、飾り終えた竹は全て設置が終わっていたが、その中で一番大きくて沢山の短冊を提げた竹に向かうと、俺とイルカ、二人一緒に願い事を書いた短冊を枝に結びつけた。
帰り道はわざと遠回りをして、暗い道を、雲のない星の綺麗な夜空を見上げながら歩いた。
「綺麗ですね〜、カカシさん」
頭の上に乗ったイルカが簡単の声を上げ、俺はイルカが落ちないように手で支えながら肩を揺らして笑った。
「そうだね〜、イルカ」
イチャパラみたいにキスが出来なくても、抱き合えなくても、通じ合うことは出来るし幸せにもなれる。
いつでもこの綺麗な夜空は頭上にあるのだけれど、今日二人で一緒に見た星はきっと一生忘れないだろう。
俺はそう思った。
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