髭がなかなか動こうとしないので、しびれを切らして玄関口からなんとか押し上げた。
家に上がると、イルカ先生がお茶を入れる準備をしている。三人分。
「いいんですよー、アスマの分なんて」
「でも」
「すぐ帰りますから」
だって引き留めて遅くなったら、ここに泊まるなんてことになりかねない。そんなの当然却下だ。
「そうなんですか? せっかく来たんだから母屋に泊まっていけばいいのに」
さすがのイルカ先生も、ここに三人は寝られないと思ったらしい。
まあ、母屋ならこっちに関係ないから俺としてはどうでもいい。事務的な手続きをするためだけに連れてきたんだから、その後どこに泊まろうが帰ろうが知ったこっちゃない。
さっさと済ませてしまおう。
「あのね、イルカ先生。家賃とか食費とか口座に振り込んでもらうから、番号教えて欲しいんだけど」
「ええ!? 要りませんよ、そんなの」
あっさりと否定された。
イルカ先生は台所でお茶葉やらお茶菓子にかかりきりで、話を碌に聞いてくれない。それこそ茶菓子なんて要らないのに。
「要らないって、イルカ先生ー」
そういうわけにはいかないじゃない。
いうなれば同棲になるわけだし? 最初にきちんと決めておかないとけじめがつかない。
「元々ここはタダで借りてるし、光熱費なんて今までとたいして変わらないでしょう?」
なるほど。
じゃあ俺が料理をする予定だから、買い物する時に食費は俺が全部払えばいいし。ゆくゆくはこの家も買い取りたいけど、とりあえず今のところ母屋へは髭を挨拶しに行かせておけば程度でいいだろう。
方向性も決まり、いよいよ一緒に住むんだなぁと実感してきた。
ああ、なんて楽しみ。
「たしか貰ったお茶菓子がここの辺りに……すみません、もう少し待っててくださいね」
イルカ先生はまだお茶菓子に拘り、台所から戻ってこない。
手持ちぶさたで待っていると。
「どういうことだよ……」
髭がぼそりと呟く。
「うん? イルカ先生と一緒に住むんだよ」
「よく聞こえなかった。悪いけどもう一回」
「だからー、あの人と一緒に居たいからここに住むの」
そう言うと、髭は奇妙なものを見るような目つきで俺を見る。
「やっぱりお前、エイリアンが変装して……!」
「ねぇよ」
しつこい。
「エイリアンがどうしたんですかー?」
髭の声が台所まで聞こえてしまい、イルカ先生が尋ねてくる。
「や、なんかね。こいつ、最近宇宙人に興味があるみたいでー」
「へえ。でもここらへんはUFOも出ませんしねぇ」
すみません、面白味のない田舎で、とイルカ先生が謝る。
謝ることなんて何もない。別にUFOはどうでもいいのだ。
髭に向き直り、今までの経緯を手短に説明する。
「だからここに住みたいんだよ」
「お前、本気なんだな?」
「そうだよ。俺はやりたいことしかしない。やりたくないことは死んでもしないから」
やりたくないことを嫌々するのは性に合わない。そういう生き方でも生きていけそうだからこの芸能界を選んだのだし。
真面目に答えると、髭はしばらく考え込んでいたが、頷いた。
「ふん、わかった。しょうがないな。ワガママを聞くのもマネージャーの仕事の一つだ」
「協力してくれるの?」
「恋愛に関しては協力はせんが、邪魔もせん。するのは仕事に関わることだけだ。それでいいか?」
「もちろん」
それで充分だ。
「じゃあ、俺は母屋とやらへ行って挨拶して帰るわ。ついでに土地を含めたこの家を購入する金額も聞いておきゃあいいんだろ」
こういうところはさすがマネージャーをしてきただけあって、髭は優秀だ。俺の性格もだいたい分かってるから話が早い。
「よろしくー」
にっこり笑って手を振った。
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