【田舎に住もう!12】


しかし、まさかイルカ先生一人にやらせて、自分はのうのうと家でのんびりしているわけにはいかないじゃないか。
俺がどうしてもと言い張ると、イルカ先生は例のジャージを貸してくれた。俺の持ち物の中に汚れても良さそうなものがなかったから。
それから鍬を持って畑へ向かった。
「それじゃあ、まずはこれくらい掘り起こしてください」
イルカ先生が見せてくれた見本は深い。40cmくらいは裕にある。
「……けっこう深いんですね」
ほとんど土木工事かと見まごうばかり深さに眩暈がしそうになった。
が、無理ならいいんですよ、と隙あらば止めさせられそうになるので、嫌な顔はできない。
「本当は冬にやるのが一番いいんですが、今日は天地返しをしようと思って」
表面の土ばかり使っていると、作物が病気にかかりやすくなり収穫できないようなものになる可能性があるのだそうだ。表面とその下の土を入れ替えることによって、沈下している栄養成分を上に持ってきて均一化し土をよい状態に保つという利点があって、などという説明が掘り進む間なされる。
なんとなく聞いてはいるものの、あまりにも作業が大変なためなかなか頭に入ってこない。同じ姿勢でいるため、肩腰の負担が半端じゃない。
イルカ先生は作業が進んでいるのに対し、俺はどんどん遅れていっている気がする。
「農作業って瞬発力より持続力が必要なんですよね」
ようするにあれだ。速筋よりも遅筋が大事ってことだ。
うう。俺は瞬発力はそこそこあるが、持続力はそれほどないんだよな。体力的にも集中力的にも。
が、ここで引くわけにはいかない。
頑張った。俺は本当に今までにないくらい頑張ったと思う。
「もうこんな時間だ」
イルカ先生が懐中時計を取り出して言う。
「お昼にしましょうか」
それはまるで救いの言葉に聞こえた。
畑の側に座り込み、用意してきたおにぎりを頬張る。
太陽の照りつける中、ふっと涼しい風が頬を撫でていく。お茶をすするとのどかな鳥の鳴き声が聞こえ、今まで暮らしてきた世界とは全然違うところへ来たんだと実感した。
別世界にやってきてイルカ先生の隣に居るという不思議。
のんびりと休んだ後、また作業は続いた。
もう駄目かもと思い始めた頃、ようやくすべてやり終えた。頑張った努力の甲斐があり、「二人でやると速いですね」とイルカ先生が嬉しそうに笑ってくれる。
ああ、もう、このまま倒れ込んでしまいたい。と思ったら、まだ終わっていなかった。
「後は肥料を取ってきて、今日は終わりです」
肥料?
「有機肥料です」
「それはもしかして……」
「ええ。牛の糞です」
ああー。そうじゃないかと思った。
「村で酪農をしている家があって、そこで発酵させた牛の糞をタダで貰えるんです」
それを取りに行かなくてはいけない、と。
まだまだ続く作業に気が遠くなりそうだ。
「カカシさんはもう家で休んでていいですよ」
とイルカ先生は言うが、そういうわけにはいかない。手伝うと決めたからには最後までしなくては。
牛舎まではけっこう歩く。手ぶらの今は良くても、この距離を運ぶと思うと気が重い。
「すみませーん。糞もらって行ってもいいですかー」
「ああ、イルカ先生。いくらでも持ってっていいよ」
これまで何回も繰り返されたであろう受け答え。あたりまえの日常であり、俺の知らなかった世界だ。
こんなところまで人気があるイルカ先生。やきもちを焼いてしまう。
が、今の俺にはそれを口にすることすら難しい。
気持ちが落ち込みながらイルカ先生の後を着いていく。
「ここです」
牛舎の脇にある、こんもりとなだらかな小山の前。
「草、生えてますね……」
「土に一体化してるってことですよ」
そりゃそうか。
糞だって土に還るんだから土の一種だ。
想像していたよりも臭いは少ない。もちろん臭いはあるが、強烈でどうしようもないと言うほどではない。
ざくっとスコップを差して、それを一輪車に積んでいく。
調子に乗ってザクザク差していくと、突然プンと臭った。色も黄色っぽい。
「あ、そこはまだ発酵してないところです」
やはり糞は糞。
発酵してないものはいわゆる普通の糞にすぎない。完熟してないものは肥料にも向かないのだそうだ。
糞を積んだ一輪車を畑まで運んで、今度こそ本当に今日の作業は終わりだった。
「いずれこの肥料を混ぜて土作りをします。ミミズが多く見られるようになったら苗を植えられます」
「ミミズ……」
あのにょろっとしたやつ。嫌いとかではないけれど、好きとも言えない。
しかし、これから畑をやっていくためには付き合っていかなきゃいけないんだろうな。


一日は長いようなあっという間のような時間だった。
ともかく疲れた。
もはや立ち上がる気力もない。布団に寝っ転がったままでぼんやりとしてしまう。
横にイルカ先生が立っていたのにも気づかなかった。
「す、すみません」
「いえ。今日は疲れたでしょう、いきなりあんなにしたんだから」
俺も途中で止めればよかったですねぇと言われたが、それはみっともなさすぎる。イルカ先生は元気で続けているのに。なんとかやり遂げられてよかった。
安堵の溜息をついた途端、家の外の音が耳に入る。
グェッグェッグェッ。ゲーコゲコ。
やかましいくらい鳴いている。これじゃあ寝られやしない。
「不思議でたまらないんですけど。蛙ってどこから来るんですか……」
ずっと田んぼの土の中に眠っていて、水を張った瞬間に起き出してくるんだろうか。そうすると、田んぼを耕してる時に間違って蛙を分断したりする事故が続発するのでは。その光景はちょっと想像したくない。
疑問を口にすると、イルカ先生が答える。
「そうじゃないですよ」
教師らしい真剣な顔で教えてくれる。
「冬眠から目覚めた蛙は川辺や草むらなどで暮らしていて、田んぼに水が入ると鳴き始めるんです。普段から鳴くわけじゃないんですよ」
なるほど。鳴かないから目立たないだけで、それまではどこかに生息してるわけだ。
「あの鳴き声は産卵するための相手を呼んでいる声なんです。川のように流れていかない水たまりはかっこうの繁殖場所ですからね」
ただ鳴いてるだけじゃなかったのか。
相手を探す声。
そう考えるとちょっとうるさくても許してやろうかという気にもなる。
ちょっと気分良く、蛙の大合唱に耳を傾けているうちに俺は眠りについていた。


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2011.07.02


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