【君よ知るや南の島5】


なんの目的もなく、ただやみくもに走り続けた。
一日の終わりにイルカと別れるのが寂しくて仕方がないのも。
嬉しそうに笑う姿に胸が高鳴るのも。
自分以外に向けられる笑顔を見て胸が焼け付くように痛むのも。
愛おしそうに髪に口づけられて気恥ずかしいのにもっとと望んでしまうのも。
全部全部たった一つの理由で説明できた。
イルカのことが好きなのだ、と。
ただそれだけだった。
それに気づいたときには、相手には恋人がいて、自分を好きになってくれる可能性などないのだと思い知った。
あのくるくると変わる豊かな表情も、漆黒の瞳も、他人に向けられている。
そう考えるだけで体中を締め付けるような耐えられない痛みが襲う。
こんな思いをするくらいなら、気づかなければよかった。
知らないままでこの島を去ってしまえばよかったんだ。
人のモノは好きにならないと、心に決めていたのに。
走りすぎて息切れしそうな身体を、辿り着いた村長の家の壁に預けた。
情けないことに眼の縁から溢れそうになる涙を、なんとか誤魔化そうと手近に汲んであった瓶の水で顔を洗う。
「あら、どうしたの」
ふいにかけられた声に、八つ当たりのような感情が渦巻いた。
「村長。俺の世話をイルカに頼んだって本当ですか」
「なんのこと?」
「惚けないでください。ミズキが言ってました、俺の接待を頼まれたからイルカは俺といるんだって」
「ミズキがそんなことを?」
「ええ」
たとえば、この男がそんなことを頼まなければこんな苦しい思いはしなかったとか。
この痛みをどうしてくれるんだとか。
そんな地団太を踏む子供のような思考に苦笑する冷静な自分がどこかにいたとしても。
それでも責めてしまうのは、恋する男として当然の権利のような気がした。
今までのことを全て説明して、このイライラを発散させたかった。
「まったくミズキもしょうがないわね。前々からあの子、イルカのこと狙ってたのよ。相手にされないからってそんな嘘までついて……」
「嘘?だって恋人だって!」
「だからそれが嘘だって。言ってたでしょう?人見知りの激しい子だって。いつもミズキのことは村長の息子だから相手をしてるって感じだったわねぇ。あんまり懐かなくて……」
「!!」
「早く行かないと何されてるかわからないわねぇ」
自分の目的のためなら手段は選ばない子なの。
そんなことを自慢げに言う親も親だ。
「そんなこと俺に言ってしまっていいんですか」
「自分の息子は可愛いけど、イルカはもっと可愛いからねー。うふふ」
まだ言いたいことがありそうな村長を無視して、俺は走り出していた。
もっと早く走れないのか、この足は。
気持ちだけは前に、前に、と心が逸るのに、足だけがついていかない。
あんな何の根拠もない言葉に騙されるなんて情けない。
よくよく考えてみれば、ミズキのために言葉を習いたかったのなら、もっと前にミズキから直接習えばよかったんだ。それを易々とひっかかって、自分は馬鹿かと思う。
簡単に騙されてしまったのは、イルカのことを考えると冷静な判断ができなくなるからだ。
あのはにかんだ笑顔を俺だけに向けて欲しい。
俺だけに。
それが叶えば何もいらない。
そう思った。


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