イルカさんのシャツ。
イルカさんの匂い。
もちろん洗濯済なわけだが、普段近くに寄ってきたときにする匂いと同じだ。
なんかイルカさんに抱きしめられている気分。
「ぐふふー」
自分の机に突っ伏して悶えてみたりして。
「気色悪い奇声を発するのはやめろ」
せっかく余韻に浸っていたというのに、それを邪魔するのは髭男だった。隣の机に座っている営業マンだ。
「なんだよ、アスマ。邪魔すんな」
「そりゃあ、こっちのセリフだ。仕事の集中への邪魔になるって言ってるんだ」
「ふっ。お前は可哀想な奴だ。こんな楽しいことを前に仕事なんてしてられるか!」
ドンと机を拳で叩く。
「……なんだか知らんが、今週の目標はちゃんとクリアしておけよ」
アスマはいい奴ではあるが、どうも俺の気持ちを理解してくれないところが困る。
仕事なんかよりイルカさんだろ?
イルカさんが微笑んでくれるなら仕事なんて二の次だろ?
まったく人の心の機微を解さない男だ。
「そうそう。仕事が出来る男は、秘書課の可愛い子ちゃんにもモテるわよー」
「えっ」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。
「それは本当か、紅!」
こっちは同僚の紅といって、営業一課で珍しく女性なのだが、今聞き捨てならないことを言わなかったか?
「やっぱり仕事が出来るエリートは憧れよ。なになに?どの可愛い子ちゃんが目当てなのよ。教えなさいよ」
そうか!イルカさんだって仕事が出来る男の方がいいよなぁ。
今まで日本に戻ってきてあんまりやる気がなかったけど、頑張ろう!
「ちょっとカカシ!人の話を聞いてるの?」
紅がしつこく聞いてきたが、目標に燃える俺はそれどころじゃない。
「どの可愛い子ちゃんだって?愚問だ。秘書課に可愛い人なんて一人しかいないじゃないか」
思わず本音を洩らすと、
「ああ、なるほど。あの子ねぇ。たしかに可愛いわ」
と納得した。
紅、お前は髭男よりもいい奴だ。イルカさんの魅力がわかる人間に悪い奴はいない。
心の友よ!
「狙ってる連中は多いから、頑張らないとね。カカシ」
衝撃の事実に一瞬気が遠くなりそうだったが、しかしそれは予想できたことだ。
誰からも好かれそうなイルカさん。
けれど、諦めるつもりなんてない。
「じゃあ、俺はこれから気合い入れて外回りに行ってくる!」
「暑い中、頑張ってねー。でもネクタイはして行きなさいよ」
はっとした。
そういえば、暑いから外していたんだった。
いや、それよりもこれはいいかもしれない、と思った。
会社に戻るたびに暑いからと言ってネクタイを外し、外回りに行くたびにイルカさんにネクタイを結んでもらう。外に出る前にイルカさんの顔を見て気力充実、営業成績アップ。成績があがればイルカさんが俺を好きになる可能性もアップ。
完璧な計画だ。
あまりの素晴らしさに鼻歌さえ出てきそうな勢いだ。
「髭。お前も頑張れよ」
背中をバンと叩いて、俺はネクタイを結んでもらうために秘書課へ足を向けるのだった。
●next●
●back●
2003.08.30 |