【恋はあせらず2】


暑い。
ついこの前までは涼しくて過ごしやすかったというのに、この暑さは一体どういうことだろう。
さすが日本。湿度が高いから、ほんの少し気温が上がっただけでも不快指数が増すって寸法だ。
ロスは暑かったけど、こんなジメジメしてなかった。
ああ、暑い。通勤するだけで体力を消耗しそうだ。
しかし、この地獄をくぐり抜ければ愛しいイルカさんに会える。それだけが一筋の希望の光なのだ。
「イルカさん、おはようございます」
「おはようございま……」
挨拶の言葉が途切れ、イルカさんが目を丸くしたまま固まっている。
なんだろう。まさか寝癖?それとも歯磨き粉が口にこびりついていたのか?
慌てて自分の身なりを確かめるが、思い当たることは何もない。
「はたけさん、半袖ですか!?」
「え、はい。暑くなったんで」
暑くなれば半袖。これ常識でしょう。
「だ、駄目です。半袖はまずいです」
「え、え?まずいんですか?」
オロオロと聞き返すと、イルカさんが困ったように眉を顰めた。
「すみません、事前に言っておけばよかったのに気づかなくて。日本では半袖シャツはあまり定着してないんです。年中長袖シャツなんですよ」
「ええっ!それじゃあ、夏も長袖なんですか!?」
「はい。はたけさんはロスが長かったからご存じなかったんですね。俺もウッカリしてました」
「そ、そんな…!」
「ちょっとしたカルチャーショックでしたか?」
気遣わしげに微笑みかけてくるイルカさんはもちろん可愛かったが、それを堪能するには俺は大問題を抱えていた。
半袖じゃない。
つ、つまり、イルカさんの袖口からチラリと見える上腕筋とか、襟元の鎖骨とかが見られないってことー!?
暑くなれば拝める日が来るだろうと楽しみにしていた俺の計画が丸潰れ?
カルチャーショックどころの話じゃない!
ショックを受けて立ち尽くす俺を見て、何を勘違いしたのかイルカさんがあることを言い出した。
「あの……よければ俺のを貸しましょうか?」
「え?俺のって?」
「汗をかいたときのために、長袖シャツをもう一枚準備してあるんです。だから今日はそれを着て過ごすといいですよ。買いに行くにしてもなかなか時間がないでしょうし」
イルカさんのシャツ!
イルカさんのシャツー!!
思いっきり叫んでいるのはもちろん心の中であって、外に漏らしてはいない。はず。
「あの…やっぱり他人のシャツなんて嫌ですか?きちんと洗濯はしてあるんですが……」
黙り込んでいる俺に、イルカさんは遠慮がちに声をかけてくる。
しっかりしろ、自分!
ここで怪しい行動を取って、せっかくのチャンスを逃してはならない。
「いいえ、喜んで!ありがとうございます、イルカさん。なんて親切な人だ」
感謝の気持ちを表しながら、どさくさに紛れてぎゅむーと手を握りしめた。まさに一石二鳥。
「よかった!」
いつも可愛いイルカさん。
その微笑みを前にちくちくと罪悪感を覚えながら、それでもYシャツを手放すことはできそうにない。
でも、何も俺から言いだしたわけではないし。
と言い訳しながら、ありがたく借りたのだった。


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