【恋はあせらず3】

四拾万打リク『リーマンカカイル』 ※『恋はあせらず』の続きです。


あ〜今日も疲れる一日だった。早く帰ってのんびりしたい。
さっきからまったく書くのが進まない見積書を投げ出した。
幸いもうすぐ就業時間だ。チャイムが鳴ったら速攻帰ってやろうと時計を睨んで待ちかまえていた。
そんな時。
「お〜い、カカシ。今日暇か?」
「暇じゃない」
話しかけてきた方向を見ることなく答えた。
相手はアスマだ。声で分かる。気を遣う必要はない。
どうせ今の時間に言い出すのは碌な事じゃないんだから、無視して帰るに限る。
「今日大事な接待があるんだが、どうしても行かなきゃならない通夜があってだなぁ」
「あっそ。残念だったねぇ、身体が二つなくて」
諦めろという意味をめいっぱい込めたのだが、相手は熊に近い生き物。髭野郎に細かい機微など分かろうはずもない。
「お前、代わりに接待行ってくれねぇか」
「行かないよ、そんな面倒くさいの」
「飲んで場を盛り上げてくれればいいから。何か聞かれてもゲンマも行くから大丈夫だって」
同僚のゲンマもということはあの例の会社の商談か、と予測をつけた。
「というか、ゲンマが行くんだったら俺必要ないし」
「そういうなよ。ここでコケられない大事な接待だってわかってるだろ? 本当ならうちの社長も行く予定だったんだが、通夜で行けなくなったから困ってんだよ」
ああ、つまりあのじいさんとアスマが連れ立って同じ所へ行くわけか。たぶん絶対外せない親戚筋の通夜なんだろう、血の繋がった二人が行くくらいだから。
納得はしたが、だからといって接待に行く気は毛頭無い。自分の担当でもないことでそんな労力使えるか。
「社長が欠席ってのもマズイから、一応社長秘書も代理で行くことになってんだ」
えっ、社長秘書も一緒だって?
それってもしかしてイルカさんも行くってのこと!?
その接待に行けば一緒にイルカさんとお酒が飲めるってこと? 酔っぱらったふりをして隣に座り、肩が触れ合ったりするのもありってこと!?
初めて会った時に恋に落ち、ずっと想ってきたイルカさん。けれど、いまだこの気持ちを伝えられずにいる。あの黒い瞳に見つめられると、ちょっと冷静さを欠いてしまって告白どころじゃないのだから。
ああ、イルカさん。お酒弱いのかなぁ。案外強かったりするのかなぁ。頬が桜色に染まったりして可愛いんだろうなぁ、きっと、いや絶対。
ほわわんと妄想している時にアスマの声が耳に入った。
「そうか、やっぱり無理か。仕方ねぇな」
ちっと舌打ちしそうになった。この根性無し!なんでこういう時に限って弱気なんだ。
「お前がどうしてもって言うなら行ってもいいかなーなんて思わないでもないっていうか」
いや、むしろ喜んで行くけど。
必要ないって言われても絶対行くし。
「お、そうか? 悪ぃな。今度奢るわ」
アスマはよほど急いでいたのか、俺が引き受けたことに疑問も持たなかったようだ。礼を言うと、詳細はゲンマに聞いてくれと言い残して去っていく。
その姿が見えなくなるやいなや、俺は勢いよく立ち上がって秘書課へと急いだ。
「あ、はたけさん」
いつものフロアへ足を踏み入れると、ちょうど席を立ったイルカさんが俺に気づいて近寄ってくる。
朝会ってから顔を見てないから8時間ぶりだ。
「今日はお迎えに来ました」
「お迎え、ですか?」
何を言われたのかわからずイルカさんは小首を傾げる。
スーツ姿でこんなに可愛いのって一種の犯罪だよな。
「今日の接待、俺も行くことになったんですよ」
「えっ、本当ですか。よかった! 実は不安だったんです、そういうのに慣れてなくて……はたけさんと一緒だったら安心です」
ほっと表情が緩み嬉しそうに微笑んでくれたので、少しは頼りにされてるんだと舞い上がりそうになった。
「大事な接待だから頑張りましょうね」
イルカさんは決意に満ちていて、ぎゅっと拳を握りしめた。
今日の接待は俺の担当でも何でもないしどうでもいいと思っていたが、信頼には応えたい。
張り切ってゲンマと合流して、予約している料亭へと向かった。


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