【恋はあせらず4】


エロ親父の隣にイルカさんを座らせるなんて。とてもじゃないが我慢ならない。
殴ってでも止めさせると決意したのだが、ゲンマに腕をがしりと掴まれた。
「カカシさん、何するつもりですかっ」
「もちろんあいつを殴ってやるんだよ。権力を笠に着やがって」
「やめてください! なんのための接待ですか。相手に気分良くなってもらって契約取るためでしょうが。秘書のうみのだってそれがわかってるから今我慢してるんでしょう!?」
ゲンマの台詞にハッとした。
イルカさんを振り返ると、
「へぇーそうなんですか。すごいですねぇ」
と真剣に相槌を打っている。
面白くもなんともない専務の話を一生懸命聞いているのだ。
目を見てしっかりと話を聞く姿勢は、年寄り連中どころか若い奴らにも好まれるイルカさんの長所。いつもの笑顔で頷かれたら誰だって良い気分になれる。
そんな大サービスをしているつもりはきっとイルカさん自身にはない。
出席できない社長の代わりだから今日は可能な限り頑張るつもりだ、と張り切っていたではないか。
俺は会社に対してそれほど義理も人情もないので、利益のために大事なものを棒に振るつもりは毛頭ない。いや、もちろんイルカさんだって別に利益を求めてやってるわけではないのだ。
ただ純粋に会社のため社長のため、ひいては社員のためと思っているのだろう。
そんな姿を見せられては、気安く殴って契約をぶち壊すなんてことはできない。好きな人の望みを叶えてこそ好きで居続ける資格があるんじゃないかと思う。
「……わかった。あのメタボ野郎をいい気にさせて帰せばいいんだろ」
やってやろうじゃないか。
契約の約束を取りつけつつ、なおかつイルカさんの身を守る。
まだイルカさんの手を握ったままの太鼓腹野郎を見て、その決意も吹き飛びそうになったが、なんとか堪えることに成功した。
「失礼。こちらに座ってもよろしいですか」
専務の横に座っていた腰巾着に、笑顔のまま『どけ』と殺気を込めて話しかけた。
「どどどうぞ」
俺の気迫に恐れをなしたのか向かい側に座ることに決めたようだ。
よし。
相手を両側から挟んで座れば、いざという時にすばやく対応できる。監視するのもさりげなく止めにはいるのも容易だ。
笑みを浮かべつつ席に座った瞬間に、目に入ってきた事実に固まった。
ふと、ふと、太もも触ってやがる! しかも撫で回してる!
ここまであからさまにセクハラ行為に及ぶとは思っていなかった。
「あの……」
さすがにイルカさんも抗議しようかするまいか迷っているらしい。
ああ、あのでっぷりとした脂肪の塊の下にある肝臓に一撃を食らわしてやりたい!
ぐっと握りしめた拳がぶるぶると震える。
しかしゲンマの視線を感じ、なんとか深呼吸して堪えた。
笑顔、笑顔だ。
「専務。一献いかがでしょう」
とりあえず酒を注いでご返杯だのなんだのしていれば手は離れるはず。すかさず興味を引きそうな話題を持ち出して気をそらす。後は誉めて持ち上げて酔っぱらわせて機嫌よくお帰り頂くのだ。
世間話から始まり、どうでもいい話に突入していく。
「専務はカラオケがお好きなんですか。十八番はどんな曲ですか」
別に知りたくもなんともないが、笑顔だけは忘れずに。
「私はねぇ、『上を向いて歩こう』だよ」
「あ。俺も好きです、その曲」
接待だから自分も輪に加わらねばと思ってか、イルカさんも一生懸命話を合わせようとしている。無理しなくていいのに。
両側から話しかけられて、専務はかなりご機嫌だ。
「いいねぇ。この後カラオケに行ってぜひ一緒に歌おうか」
スキヤキソングか。アメリカでも有名な曲で、カラオケに行くと一度は歌わせられる。あれなら俺にも歌える。
が、しかし。二次会のカラオケに行くつもりなど欠片もない。
まだ俺でさえ聞いてないイルカさんの歌声を、何が悲しくてお前に聞かせてやらねばならんのだ。ましてや一緒に歌うなんて言語道断。
お前なんて酔い潰してポイだ。
「こちら、珍しい大吟醸だそうですよ」
「ほぉ、美味いね」
「さすが専務は味の違いにも敏感でいらっしゃる」
うう、歯が浮きそうだ。
けれど楽しいことが一つもないわけではない。
「本当に美味しいですね、これ」
頬を染め嬉しそうに飲み干すイルカさん。けっこう酒好きらしい。
普段より黒い瞳が潤んでいて超絶可愛い。
今度絶対飲みに誘おう、と決意を固めた。
そうこうしている内にガンガン飲まされた専務は、うとうとと船を漕ぎ出した。よし。
ここの料亭の自慢料理も最後のデザートが出て終了だった。味なんて覚えてないが。
先方の部下もゲンマが対応してくれていたので、かなり上機嫌に酔っぱらっている。ここまでくればお開きにしても問題ないだろう。
「俺が責任持って送っていきますよ。元はと言えば二人は助っ人なんスから」
ゲンマが気を遣ったのか、それとも俺の堪忍袋の緒が切れるのを恐れたのか、早々に専務達をタクシーに押し込み自分もさっさと乗り込んだ。
「今日はお疲れさまっシタ」
「お疲れ〜」
「お気をつけて。おやすみなさい」


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2008.06.07


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