わかっていたはずだ。
あの人は、触れることもできない明日の夢のようなものだということ。
ただでさえ夢は遠いのに、明日見るはずの夢だからもっともっと遠い。まるで手に掴むことのできない幻のようだ。
わかっていたはずの事実は、俺をなぜか悲しくさせる。
しばらく抱きしめられたまま、じっと動かないことにした。その方がいいと思ったからだ。
ただ静かな夜の音に耳を傾ける。
時間と共に、次第に細かな震えが治まっていく。
「カカシさん?」
落ち着いた頃を見計らってそっと呼びかけると反応があった。
「ああ、すみません。驚いたでしょう」
身体が離れていく。
なんとなく寂しくて引き留めたい衝動に駆られたけれど、そんな勇気はなかった。
「何かあったんですか?」
「ずっと一人でいると悪い方にばかり考えてしまって……駄目ですね。やっぱりイルカ先生がいないと俺は生きていけないみたい」
困ったね、と言って笑う顔は、今にも泣き出しそうに見えた。無理にいつものように微笑もうとする姿に胸が痛む。
慰めの言葉さえうまくかけてあげられない。なんの力にもなれない自分が悔しい。
カカシさんに必要なのは『イルカ先生』なのだ。生きていくために空気が必要なように不可欠なもの。
声が震えるくらい会いたいと、そう望まれているのは今の俺じゃない。それがいったいどんな人間なのはわからない。自分自身ですら知らない未来の俺。
俺にもいつかこんな風に魂が痛いくらい誰かから愛される日が来るのだろうか。
この人の話を信じるならば、その誰かとはカカシ先生のことなわけだけれども。
まだ自分は半信半疑だ。
自分はこの人に愛されるほど価値のある人間だろうか。そう思うから。
それでも今は信じたいと思い始めている。そうだったらいいと思っている。
「イルカさんにはみっともないところ、見せちゃいましたね。せっかく今までかっこつけてたのになぁ」
「そうなんですか?」
意外だった。そんな風に見えなかったから。
大人で優しくて、到底困ることなどなさそうに見えるけれど、それはただ単に俺の目線が低いせいなのかもしれない。子供が大人のことをすごく大きな存在に感じるような、あんな感覚なのかもしれない。
「実はそうなんですよ」
にっこり笑う姿はもういつも通りだった。
それは少し寂しくはあったけれど、きっと今の自分では悩みを打ち明けるには力不足なのだと言い聞かせる。カカシさんがいつも通りを望むのなら、できるだけそう振る舞うのが今の自分に出来ることだとも。
「あ、そうだ。ナルトたちが二次試験に受かったんですよ! 今、予選をしてるんです」
とりあえず、今一番の話題をと張り切った。もちろん自分自身がすごく嬉しいことなので演技する必要もない。
「よかったですねぇ」
笑顔でそう言われてハタと思い至った。
よく考えたら、未来からきたカカシさんが二次に受かったことを知らないわけがないんだ。それどころか中忍試験の最終結果も知っているはず。一人浮かれて騒いでいる自分が恥ずかしくなった。
どう思われただろうとじっとカカシさんを見つめていると、
「ああ、結果は内緒ですよー」
と勘違いされた。
「わかってます。そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
からかうような口調に、少しほっとした。
カカシさんはよくそんな風にからかうけど、それは別に馬鹿にされているわけじゃないのがわかっていたから。
「えーっと、お腹空いてませんか」
「ぺこぺこです」
「じゃあ、何か作りますね」
慌てて台所へと向かう。
結局その夜は、カカシさんが何かの拍子にふっと見せる憂い顔が気になって、予選会場へ行くとは言い出せないまま夜を明かすことになったのだった。
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2005.09.03 |