【愛は噂や嘘よりはやく走れない9】


アオイは黙り込んでしまったイルカに満足したのか、踵を返すと去っていった。
イルカは不安に押し潰されそうになり、ぐっと唇を噛みしめると火影の元へと向かった。
突然と執務室を訪れたにもかかわらず、火影は快くイルカを招き入れる。
「たしかこっちの方にイルカの好物の菓子があったはずじゃが……」
決裁の書類が山積みになっているくせに、イルカと一緒にお茶を飲もうと立ち上がりかける。イルカはそれを押し留めた。
「三代目……カカシ先生に何か言われたんですか」
「何かとは何のことじゃ」
「俺のことで何か……」
イルカは声が萎んでいき、最後まで言い切ることはできなかった。
しかしイルカの表情とはうらはらに、火影の顔には笑みが広がった。イルカの心配事を取り除いてやったという自信があったからだ。
ここ最近のカカシの猛攻に、自分たちだけで守りきるには限界がある。こんなときこそ三代目にご注進だ、と親衛隊は奥の手に縋った。
三代目といえばイルカ親衛隊にとっては名誉会長、総元締め。真のお手本と言って過言ではない。
可愛いイルカのためなら火影の権限を行使するのもやぶさかではなく、法さえ曲げかねない。そんな潔い三代目は皆の憧れの的だ。三代目に言えばきっとなんとかなるに違いないと皆は思った。
迷惑してるんです。はたけ上忍が朝も昼も夕方も夜もやってきてイルカ先生の仕事を邪魔するんです。好きだとか付き合えとか。上忍という立場を振りかざされると、イルカ先生もなかなか断り切れなくて可哀想に……あんなストーカーを野放しにしておいていいんですか。
皆涙ながらに訴えた。
その訴えを真に受け、可愛いイルカがそんな危険な目に遭っていようとは思わなかった三代目は、思いきり私情に走った。
さっそくカカシを執務室に呼び出して、懇々と説教をする。
イルカにちょっかいかけるなどとんでもない。これ以上迷惑をかけるようなら、長期任務で里にいられないようにしてもよいんだぞなどと脅しもした。
ここまで言っておけば大丈夫だろう、と我が子可愛さに目の眩んだ年寄りは思った。だからにこやかに返事をしたのだ。
「ああ、イルカは心配せんでもいいぞ。昨日呼び出してカカシにはよーく言い聞かせておいたからの」
火影はなんと言ったのか。
自分の都合のいいように解釈して忘却の彼方へ捨て去ってしまいたいとイルカは願った。しかし、どう考えても火影から発せられた言葉は聞き間違えようがない。
まさかアオイの言っていたことが本当だなんて。
握りしめた拳が震える。
「じっちゃんの馬鹿ー!! 大っ嫌いだっ」
イルカはそう叫んで執務室を飛び出した。
後ろからしきりに名前を呼ばれたが、構わず走り続けた。
三代目はイルカのことを我が子のように可愛がり、なにくれと世話を焼いてくれるのは嬉しいのだが、どうもいつまでたってもイルカを10歳を過ぎるか過ぎないかぐらいの子供のように思っている節がある。
もちろん両親のいないイルカにとっては嬉しいことだ。
自分が先程叫んだ言葉はそのまま甘えを示している。火影を『じっちゃん』と呼んで罵るなど、普通では許されないことなのだ。
光栄であり嬉しいことではあるが、過ぎたるは及ばざるがごとし。少々行き過ぎの感がある。
けれど、三代目の厚意を責めるわけにはいかない。イルカだとてわかっている。たとえ小さな親切が大きなお世話だったとしても。
火影を馬鹿と言ったが、違う。本当に馬鹿なのは自分だ。
イルカは走りながらそう思う。
よく考えれば思い当たることが多々あった。
一人にさせるのは心配。カカシはよくそう言っていたのは、三代目に頼まれていたから。
ラーメンばかり食べてしまう自分に野菜も食べるようにといつも心を配る。子供の偏食を気にする親のように。それも三代目に頼まれていたから。
だからだったんだ、あんなに親切で優しかったのは。
三代目もカカシ先生もよかれと思っていろいろとしてくれていたのだ。ただ自分が知らなかっただけで。勘違いしていい気になっていただけで。
でも仕方ないじゃないか。曲がりなりにも大人の中忍相手に、まさかそんなことを案じられるなどと誰が考えつくだろう。
カカシも任務で忙しくて疲労が見られる時もあったのに、それでも声をかけてくれたのは……ただ単に火影命令だったからだなんて。
イルカは目の奥が熱くなる。
走り続け、右に曲がった廊下の角で出会い頭にぶつかった。
じわりと滲む涙のせいでイルカは咄嗟に反応できず、思いきり尻餅をついた。


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2006.11.11


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