「す、すみませ…っ」
イルカは相手も見ないまま謝った。少しでもみっともないところを見られたくない思いで目を擦る。
しかし。
「イルカ先生、どうしたんですか! 何泣いてるの?」
「カカシせん…せ……」
なんという皮肉か、ぶつかった相手はカカシだった。
イルカの涙を見るやいなや慌てて側にしゃがみ込み、憂えた瞳で覗き込む。
「誰かに何か言われたの? いじめられたんですか?」
そんな心配をするカカシに、ぼろぼろと涙が止まらなくなる。
あくまでも優しいカカシは、もうそれだけで辛い。その親切がまやかしだと知っているから。
「触らないでくださいっ」
自分を案じて伸ばされる手をイルカは振り払った。
これ以上優しくされるのは耐えられなかった。
「イルカ先生?」
「そんなこと、もうしないでください」
カカシは拒否された手をどうしてよいのかわからないまま、呆然としている。
「もういいですから。そんな面倒見るなんてこと、しないでください。俺、自分一人でちゃんとできます」
イルカはそう宣言したが、ぼろぼろ泣きながら言っている自分に説得力はあるのだろうかと心配になった。
案の定カカシは納得いかない様子だ。
しかも何を勘違いしたのかどんよりと暗い。地を這うような声が引きつった口元から溢れる。
「俺なんかに心配されるのは嫌ってことですか」
嫌なわけはない。
ただそれが自分の意志ではないことが悲しいだけだ。
「嫌なのはカカシ先生の方でしょう?」
火影に命令されて大の大人の面倒を見るなんて。
「俺が嫌だなんて思うわけないでしょう!」
思いがけず強い口調で抗議されイルカは驚いたが、それに触発されて自然と自分の声も大きくなった。
「だってあなたが俺に親切にしてくれる理由は、火影様に命令されたからでしょう!?」
「ええっ? 命令なんてされてませんよ」
「嘘です。三代目が『カカシにはよく言い聞かせておいたから』って! 面倒見ろって言われてたんでしょう? 何か頼まれたから、俺なんかに近づいたりしたんでしょう!?」
堰を切ったように言いたいことを言い切ると、イルカは俯いて黙り込んだ。自分の言動を恥ずかしく思ったからだ。
何を言ってるんだろう、まるで子供の癇癪だ。悪いのはカカシ本人ではないのに。
「な、なんか誤解があるみたいなんですけど! そんなことは一切ありませんよ?」
必死になって否定するカカシに、イルカは少しだけ顔を上げた。
「誤解って何ですか」
カカシは誤魔化そうとしているが、直接三代目に確認したのだから間違いない。
もうやめてほしい、そういう優しい嘘は。
イルカはそう考えて、カカシをぐっと睨んだ。
「三代目が言い聞かせたっていうのは、多分『イルカにちょっかい出すな』っていう警告のことじゃないかと」
「え?」
「や、だからね。『娘のように可愛がってるイルカに近づくのは許さん』ってお説教くらったんですよね、昨日」
口をぱくぱくさせるイルカ。驚きのあまり言葉がなかなか出てこないらしい。
「…………娘ってなんですか」
ようやく絞り出すように出てきた言葉は、それぐらいしかなかった。
「やだな、イルカ先生。言葉のあやじゃないですか。っていうか、論点はそこじゃないでしょ!」
たしかに論点はそこではない。
だからといって何が今の状況の解決の糸口なのか、イルカには想像つかなかった。
どうしてカカシがイルカに近づくのが許されないのかさっぱり理解できない。
「だいたい、なんで俺が火影命令で近づいたとか思われてるわけですか」
「だって、だって……!」
おかしいじゃないか、木ノ葉の里が誇る写輪眼のカカシがこんな一介の中忍に。
「そうじゃないと、優しくしてもらう理由がわかりません」
火影命令だと思わなければ納得いかない。
カカシはガリガリと頭を掻きながら、心底困ったように眉を寄せた。
「イルカ先生に親切にする理由は、下心があるからです」
下心。
カカシは下心と言った。
ではやはり何か目的があったのだ、とイルカはまた泣きそうになった。
「優しくて良い人間だと思われたら、好きになってもらえるんじゃないかって思ってるからですよ」
少し怒ったような表情で言われて、イルカは呆然とする。
カカシの言葉の意味が理解できず、
「カカシ先生のことは好きですよ、もちろん」
とりあえずそう返した。
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2006.11.18 |