あたしのご主人様は世界一。
黒い瞳にはいつも優しい光が宿っているし。黒い艶やかな髪はにっくきカラスなんかより断然綺麗だし。曲がったことが大嫌いで正義感に溢れていて。教え上手の聞き上手。子供に超人気者なうえ、大人からも信頼が厚い。
誰からも好かれる笑顔の素敵なご主人様。
あたしの自慢よ。
人が好すぎて自分のことよりまず他人、で休む暇もなくなってしまうからとても心配。
だから早く帰ってきてと強請る。そうすれば優しいご主人様は帰ってきてくれるから。
そんな大好きなご主人様が我が家にお客様を連れてきた。今までこんなことなかったのに。
誰かが自分のテリトリーに入ってくるのは非常に不愉快だわ。
「おいで」
それでもその言葉を聞けば一目散。
なんといってもご主人様の言葉通りに動くのがあたしの役目だもの。もちろん命令じゃなくなって側に居られるのは何よりも嬉しいことなのだけど。
隣に立っているお客様は、出来の悪い失敗作の鳥の巣みたいな灰色の頭をした男。顔のほとんどを隠していて、どこの変質者かと思う。唯一晒されている右眼は、瞼が重いのか半分くらいしか開いてなくて少し眠たそうに見える。
ご主人様はどうしてこんなのを家に入れたりしたのかしら。
「これがルリコ?」
まぬけな顔は、見ていてちょっと楽しい。
みんなあたしの名前の由来を聞くと笑うけど、あたしは自分の名前が好き。
瑠璃色の小鳥っていう意味なんですって。
『綺麗な瑠璃色だね』と羽根を撫でられるときの幸せ。ご主人様に『ルリコ』と優しく呼ばれるのがあたしにとっての一番のご褒美なの。
ご主人様にかまってもらうのが毎日の日課で、今日も思う存分撫でてもらってあたしはご満悦だった。けれど、その最中に痛いくらいの視線を感じて。
灰色頭が恨みがましくこっちを見つめていて、ピンときた。
ああ、この人ご主人様が好きなんだ。
でも残念ね。今、ご主人様はあたしにかまうのに夢中なんだから。そう優越感に浸っていた。
その日から灰色頭はよく家を訪ねてくるようになった。
それはとても気に入らないことだったけれど、ご主人様が事あるごとにあたしにかまってくれるのでおおむね歓迎していた。仲の良いところを見せつけてるみたいで嬉しかったし。
でも、あんな灰色頭だって曲がりなりにもお客様なのに、どうしてご主人様はあたしにばっかりかまうのかしら。礼儀正しいご主人様らしくない。
ねぇ、どうして。あっちはかまってやらなくてよいの?
頬をそっとつつくと、ご主人様はあたしの言いたいことがわかったみたいで困って眉を寄せる。
「だってルリコ。顔がこんなに近くにあるんだよ? 恥ずかしくてまともに顔を見られないよ」
そう言って頬を染めるご主人様は、まさしく恋する表情。
手のひらに乗っていると、心臓のドキドキがあたしの足を通しても伝わってくる。
まさかあいつが好きだなんて!
あんなぬぼーとした胡散臭いやつを!? ぼさぼさの住み心地の悪そうな鳥の巣頭を!?
しかも牡じゃない!
あたしが可愛くて気だての良いお嫁さんを見つけてあげて、出会うきっかけもあたしが作ってあげて、そしてずーっとずーっと幸せに暮らすっていう計画はおじゃんってこと!?
そして、あたしを愛してるからこそのスキンシップと思っていたのが、ただの照れ隠しだったなんて!
酷い。悔しい!
あの灰色頭のコンコンチキ野郎!
あら、あたしとしたことがはしたない言葉を。
でもだって、悔しいじゃない。
つっついて引っ掻いて引っこ抜いてやるんだわ。
これぐらいの報復は当然よね?
敵は上忍のため躱されることもあったけれど、ご主人様に見惚れてて隙ありまくりだから報復し放題だったわ。
けれど、そんなことぐらいであたしの気が晴れるはずもなく。唯一の救いは、まだ二人ともお互いの気持ちに気づいてないってことぐらいかしら。
「ルリコ、ルリコ。どうしよう! カカシ先生が帰ってこないんだ」
帰ってこないならうるさくなくていいじゃない。せいせいするわ。
最初はそう思ったのよ。だって本当のことだもの。
でもご主人様が大粒の涙をこぼすのを見てからは、とてもそんなこと思えなくなった。
とても胸が痛い。
泣かないで。
「行方不明だって……きっと酷い怪我をして動けないんだ。運が良ければチャクラ切れかもしれない。どっちにしても早く見つけないと! カカシ先生が、し、死んだりしたら、俺どうしたら……」
いつもならあたしの定位置である肩が震えていて、そこに留まることは躊躇われた。だからご主人様の顔の周りをぐるぐる回って励ます。
死んでなんかいないわよ。あたし知ってるのよ。あの灰色頭はけっこう強いんだってこと。里でも評判なんだって。普段の姿じゃとてもそうは見えないけど。
大丈夫。あんな男でもご主人様を好きなのは本当だから。決して帰ってこないなんてことないって断言できる。
きっとご主人様が愛想良くしてやらないから、どこかでふて腐れて寝てるだけよ。迎えに行ったら一発で元気になるわ。きっとそうに決まってる。
あたしが捜しに行くから。絶対見つけてみせるから。
胸を張って志願した。
だってご主人様が泣くのは見たくない。
そのためだったら、夜の空だって飛んでみせる。
自分が上を向いているのか下を向いているのかすらわからなくなるくらいの暗闇の中、必死に羽根を動かした。
神様。鳥の神様がいたらあたしの願いを叶えてください。
あたしのご主人様の想い人のところまで、どうかあたしを運んで。
どすんと何かに頭からぶつかってしまった時はもう駄目だと思った。もうこれ以上は飛べない。
ごめんなさい、ごめんなさい。役に立てなくてごめんなさい。
羽根を動かす力はもうすでになく、きっと冷たい地面に落ちるしかないのだと思った。
けれど、落ちたところは乾いた血がこびりついた手の上だった。
「お前……どうしたの」
その声はまさしく探し求めていたもので、身体が震えたわ。
神様、ありがとう。願いを叶えてくれて。
肩に留まると、できうる限りの声でご主人様を呼ぶ。
ここなの! ここにいるの!
早く来て。早くここに来て、どうか笑って。
やってきたご主人様はほっと安堵した表情を見せたけれど、あたしが想像した風には笑ってくれなかった。きっとまだ怪我がどうとか案じているんだわ。心配性だから。
「あなたが動けなくなって帰れない時は、必ず迎えに行きますから。だから、絶対死んだりしないで待っていてください」
ご主人様の声は震えていて、あたしまでうっかり泣きそうになった。
それなのに、肝心の灰色頭は黙り込んだまま。
まあ! ご主人様がここまで言ってあげてるのに返事をしないだなんて、なんて気の利かない男かしら!
引っ張ってやる。
こんなやつ、ハゲてしまえばいいんだわ。
思いきり髪の毛を咥えて引っ張ってやると、ようやく目が覚めたのか返事をしていた。
やれやれ。世話の焼けるやつ。
ご主人様の目が嬉しそうに細められて、あたしが望んだ通りになった。
たとえそれが灰色頭のおかげだとしてもかまわないわ。幸せで笑ってるのが一番だもの。その幸せをもたらしたのがあたしなら、それはとても誇らしいこと。
それでも悔しい気持ちは簡単に消え去ったりはしなくて、腹立ち紛れに灰色頭を思いきり踏んづけてやった。
これでちょっとは思い知ればいいんだわ。
「ルリコはよっぽどカカシ先生のことが気に入ったんですね」
とご主人様は言う。
そんなわけないのに。なんて鈍いご主人様!
でもよいの。そんなところもすべてひっくるめてあたしのご主人様なんだもの。
「ありがとう、ルリコ」
灰色頭がしおらしげに礼を言うので、あたしは上機嫌だ。少しは可愛いところもあるじゃない。
いいわよ、いつだって飛んであげる。それがあたしの使命でもあるんだから。
そう返事をしてやった。
あたしの世界一のご主人様。
いつだってあなたとあなたを取り巻く人々すべてに幸福を運ぶ鳥でありたいの。
2007.08.18初出
2012.03.03再掲載
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